NOVEL

Insomnia Memories vol.5~眠れない夜、仕事部屋へ呼ばれた彼女。寝室で彼にそっと添い寝するが、衝撃の姿に彼女はただ涙する。そしてこの物語の全ての秘密が明らかになってゆく…~

 

翌日、目を覚ますと既に山茶花の姿はなく、リビングにあったメモには

「朝ごはんは冷蔵庫に用意しておきました、ちゃんと食べて。鍵は掛けなくても外からロックするよ、じゃまたね。アユム」

と綺麗な文字で綴られていた。

カーテンを開くと、眩しい朝日が私を照らした。

 

 

ぐっすり悪夢も見ずに眠れるなんて、何十年ぶりだろう。眠ることってこんなにすっきりとした気持ちになれるんだと私は体の中の細胞が喜ぶ音を聞いて驚いていた。

彼の気持ちに応え、目玉焼きとサラダ、パンの朝食を口にすると荷物を持ち家を出た。

そして、とある場所へ足を運んでいた。本当はとても足が重い。

だけど昨夜の山茶花との一夜を経て、私はとある確信を感じていた。

 

昭和区にある豪邸、何台も外車が並び成金感が半端ない。

表札には「Ayana」と書かれていた。私は深呼吸を3回すると静かにインターホンを押す。

 

 

髪を上げて眼鏡姿、スーツを着込み仕事に向かった山茶花こと時生も、送迎車の中で昨日、涙ながらに胸の傷にキスをしてきた彼女のことを思い出していた。

もしもっと軽薄な女性ならヤってそのままさよならできたはずだ、いつものように。

しかし、今まで抱いた、抱かれた異性に傷のことを言っても特に興味もなく笑われたこともあった。だからいつもどの性行為も暗闇の中で行うことが基本だった。

それほど、胸の傷は彼の中では切り離せない運命であった。

窓から暖かな冬の光が差し込んでくる、昔は外に出ることすら禁じられていた。

生まれてから入退院を繰り返し、大人になるまできっと生きられないと医者からも言われた重い心臓病を患っていた。

親からは、少しでも一瞬の時を大切に生きてほしいという想いを込めて「時生」と名付けられた。

 

「社長、到着いたしました」

「ありがとう」

社内に入ると、部下たちが深々と会釈する。返事をし社長室へ向かう。各々の部署からの報告を聞き、父が培ってきた社員たちが平等になるべく意見を通し合えるような環境を作りたいという意向を育てて、ここまでの企業に成り上がった。

しかし、時生の本当の夢は「詩人」であった。

幼い頃、外にも出れず運動もできず病室から見上げる四角い窓から見える外の風景に、どれだけの憧れを抱いただろう。狂おしいほどに、外から聞こえる同世代の子供達の声に耳を塞いだ。

時生を産んだ父と母は非常に子煩悩で、特に父は名古屋でも有数の大企業の社長だったが、息子のためならと金に糸目をつけなかった。心臓の手術を何度も受けさせ、吹き消えそうな命を紡ごうと必死だった。母はいつも時生に付き添い、たくさんの本や物語を読み聞かせてくれた。

 

「あの子は重い心臓病なの、だから優しくしてあげて」

「生まれつきああなのよ、本当に可哀想ね」

「病気が治ったら、一緒にサッカーしようぜ」

「早く治るといいね!普通に遊ぼう!」

そんな言葉が少しずつ、心を傷つけるなんて知らないで。

 

すっかり塞ぎ込んでしまった彼に、かかりつけの若い医者がこう告げた。

「時生くん、書いてごらん。君は文字がとても綺麗だ。だから、思ったこと、感じたこと、見えること、全部、全部書いてごらん。それは君自身の叫びだ」

そう言って、真新しい万年筆と小さなノートをクリスマスの日にプレゼントしてくれた。

 

時生は受け取り、その夜一人病室で声を殺して泣いた。

 

 

年が明けて、いつ発作が来るかも分からない。時生は16歳を迎えていた。

同じような症状の友達は、いつしかいなくなっていた。

それを考えず、今日も酸素吸入機と点滴を吊るしながらゆっくりと時生は病院内の廊下を歩く。

時生の両親は、いつか心臓のドナーが現れることを信じて待ち続けた。

しかし適合する心臓のドナーが現れる可能性は日本では非常に低い、それでも両親は願い続けた。

 

一方、時生はノートに自分の想いのたけを書き綴った。多少胸が苦しくなっても彼の手は止められない。万年筆をくれた医者は彼の言葉を読んで

「素敵な言葉じゃないか、時生くんはまるで水のような詩人だね」

と優しく微笑んだ。

春も、夏も、秋も、冬も、時生はノートに言葉を綴り続けた。まるで自分の生きる証を刻むように。ノートも万年筆のインクもすぐ切れたが、両親が補充してくれ彼の想像力を止めるものは何もなかった。

いつしか、病院内の文化祭でも彼の詩は発表され、大きな反響を与えることになった。

「重い心臓病を持った青年が書き綴る命の詩、生きるとは?」

などとメディアは持ち上げ、出版したいという話まで飛び出してきた。

両親は時生の活躍に喜んだが、彼自身はそれほど喜びはなかった。なぜなら本当に描きたいことはこれじゃない気がしたから。彼が見たいのは窓から見える風景ではなく、窓の外にある空気や樹や花、そして人だったから。