NOVEL

Insomnia Memories vol.8~”心臓”が繋ぐ二つの家族、そしてヒロインが亡き兄の遺した手紙で見つけた言葉とは?~

前回: Insomnia Memories vol.7~法医学医を目指していた兄を亡くした妹、その心臓で生き長らえた青年、真実を知った彼らは…?~

はじめから読む:Insomnia Memories vol.1~ダンサー志望の家出娘、ひょんなことから家から追い出されて辿り着いた真夜中の公園、一人踊る彼女の前に現れた謎の男とは?~

 

 

両親は渋い顔をして互いに顔を見合わせる。

母は立ち上がり、台所でコーヒーをたてはじめた。コポコポという香ばしい粉のドリップ音だけが家の中に響く。

「私、偶然、この人と会ったの。そして…訳あって胸の傷のことを知ったの。あの傷は…私、霊安室の照にいでしか見たことない」

頭の中にある記憶が断片的にどんどん、私に襲いかかってきて言葉が止まらない。ますます早口になっていく。

「あの夜、照にいが事故で脳死状態になったとき、パパたち、何かにサインしてたよね。そのあと、ストレッチャーに乗せられた人とその人の両親みたいな人とも顔を合わせた気がするんだ」

一気にそこまで言う私の声にママはゆっくり項垂れ、手のひらを綺麗に片付いたダイニングキッチンに置いた。

「私、覚えてる…あそこに乗せられてた痩せた男の人、あれは…この彼なんだよ」

私は時生の詩集に優しく手を置く。

「照にいの心臓は…山茶花アユムに移植されたんだね」

 

同じ日時、同じ病院、そして心臓のドナー。

本来なら互いに極秘とされ、決して双方にプライバシーは漏れないはず…だった。

しかし、偶然が互いを引き合わせてしまった。

長い沈黙の後、パパは立ち上がるとアンティークの棚の奥から書類と手紙を取り出した。

そっと机に置かれたのは、古い手紙であった。

「山茶花くんの心臓は照文のものだ」

読んでいい?と私はパパに呼びかけると、ああと頷いた。

私は封筒の中からそっと手紙を取り出した。

 

 

『章魚様

先日は突然の訪問、大変失礼いたしました。改めまして、わたくし浜名透と申します。今回心臓を移植しました息子、時生は生まれた時からずっと入退院を繰り返しておりました。寿命も短いだろうといつ発作が起きて何があってもおかしくない状態だと言われ育ちました。

個人的に自営業を営んでおりましたので金に糸目をつけず何度も手術を繰り返し、一人息子を救いたい一心でドナー様も探しておりました。時生が24歳になりあの夜、突然ドナー様が見つかり、緊急手術ということで我々も慌てふためいておりました。ですからドナー様のことに考えが及ばなかったのです。あの時、貴方様方を見かけるまでは。

息子の心臓は無事に動き出し、その後は拒否反応も感染症も起こすことなく半年後には“普通”の生活を送れるまでになりました。お手紙ということで、そして以前お送りした小切手に加えて、お礼と言う形で気持ちを添えさせていただきました。よろしければ妹様の手助けなどにご遠慮なくお使いくださいませ。

章魚様ご家庭のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

2011年 浜名透・美穂子』

 

山茶花アユム、つまり浜名時生はやはり兄の心臓で生きていた。

中にはまだ何も手を付けられていない多額の小切手が入っていた。

「以前、持ってこられた小切手で十分俺たちは裕福に、自由になったはずなのに…。どこでどうこうなったんだろうな…」

そして消え入る様な声で「…照文」と父は呟くと、ほおに伝う光る涙をぽたりと地面に落とした。

父は封筒に込められた最後の気持ちを、一度も取り出せず触れることすらできず時間だけが過ぎていったんだ。

キッチンではいつも強気なママが声を押し殺すように泣いていた。

仏間では穏やかな顔のあの日のままの照にいが、仏壇の中で微笑んでいる。