「紗希ちゃん、どうしてるの?ママ、怒ってないから帰ってらっしゃい」
母からは留守番電話に何度かメッセージが残っていたけれど、紗希は折り返さなかった。
33歳は、もうなんだって自分で決めることが出来る。
そんな当たり前のことをしみじみ、味わっていた。
銀行の説明ではローン審査に数日かかるが、まず問題ないだろうとのことだった。
家具を揃えようと部屋のサイズを確認しに訪れた帰り、エレベータホールで見知った顔と出会った。
「あら、紗希じゃない」
「・・ピエールさん、こんばんは」
サングラスを掛けていたが独特のスタイルは変わらない。由衣と訪れた美容室の店長だった。
「ピエールで良いわよ、何?ここに住んでいるの?」
「はい、22階に今度越してくることになって」
「あら、私は48階よ。偶然ね」
仕事帰りらしく、会った時と同じような服装だ。
マンションのロビーに飾られた黄色いバラがよく似合う。
「もう帰るの?」
「はい。今日は部屋のサイズを確認しに来ただけなので」
ピエールに尋ねられ、紗希は答える。
「よかったら、一緒に夕飯でもどう?」
手に持ったワインの袋を掲げて、ピエールが誘ってくれる。少し考えて紗希は頷く。48階からの眺めにも興味があった。
「じゃあ、少しだけ」
「決まりね、行きましょう」
ピエールの後に続いて、降りて来たエレベーターに乗り込んだ。
ポン♫
軽い到着音が48階に着いたことを知らせる。
紗希の部屋があるフロアと比べると、扉の数が少ない。1戸のスペースをかなり広く取っているのだろう。
「こっちよ、入って」
扉に手首の静脈を照合させると扉が開いた。