「行く前に、少しでも男性への恐怖心が和らいで、本当に良かったです。御前崎さんのおかげですね」
「いえ、僕の方こそ……槙さんには、たくさんお世話になりました」
それはもちろん本心からの言葉で。槙さんが栄転して離れて行くのは、「同志」として誇らしくもあり、そして正直寂しくもある。
「……良かったら、帰ってきたときに連絡ください。その、向こうに滞在中も、たまには」
「もちろんです」
頷いてから、ふと、彼女の顔が目を見開く。
「そういえば……私たち、まだ連絡先も交換してなかったんですね」
「あ……言われてみると」
隣部屋の住人として知り合ったから。ちょっと勇気を出せば、顔が見える位置にいた。
スマホを取り出し、アプリを起動する。
「……連絡します、絶対」
そう、槙さんが笑って言う。僕も笑ってそれに頷いた。
「僕も。あの部屋で待ってます」
***
「こちらお願いします」
女性社員の指先が触れそうになり、思わずぴくりと、一瞬手の動きが止まる。
「――ありがとう」
微笑んで礼を言うと、女性社員は軽く頭を下げて離れて行った。
女性への恐怖心が、全て消えたわけじゃない。あの日の傷は、まだ僕の心のどこかでくすぶっている。でも――なにも変わらないわけじゃない。
三十歳にして、WEBサービスの展開をメインとする会社を経営し、年収は約二千万。顔も身体も、努力で見られるものにしてきた。
でも――パーフェクトじゃない。だって僕はまだまだ、前に進める。進んでいく。
デスクの下に置いた大きめの鞄には、仕事道具と一緒に、きついシューズとチョークバッグと、それから少し派手な色の靴下。
僕らは少しずつ、変わっていける。
―The End―
はじめから読む:御前崎薫は… vol.1~女が怖い~