「……とは言え、さっきも言いましたけど私、本当はあの人に怒鳴ってやりたいくらいで……だって御前崎さんはあの人のせいで散々傷ついてきて、それなのにあの人はそんなこと考えもしないで。御前崎さんは素敵な人なのに。本当に素敵な人なのに、無自覚だとしてもこれ以上傷つけようとするのはすごく、許せなくて」
でも、と。槙さんはそこで言葉をきって、少し悩むように視線を彷徨わせた。
「……でも、やっぱりあの場で私がそう言うのは、違うんじゃないかなと思って。それはきっと、本当の意味では御前崎さんのためにならなくて、ただの自己満足になっちゃうかなって。だから、えぇっと――」
言葉を探しながら話していた彼女が、僕の方を見てぎょっとした顔に変わる。
「お、御前崎さん? 大丈夫ですかっ?」
「――大丈夫、です。ごめんなさい」
両目から、ぽろぽろと涙がこぼれて止まらない。でも、悲しいわけでも、苦しいわけでもない。胸がぎゅうっと詰まるような、熱くなるような。そんな気持ちでいっぱいになる。
「槙さんがそう思ってくれてるなら……それで、なんだか全部、報われたような気がして――」
無駄じゃなかった。あの日から、僕がここまで頑張ってきたことは。傷ついた心をなだめつつ、努力を放棄しないでやってきたことは、無駄なんかじゃなかったんだ。
槙さんが、テーブルの上にお菓子やつまみを広げる。
「食べましょ、御前崎さん。好きなものを食べて、頑張った自分を褒めてあげましょう。『よくやったね』って。そういうの、大事です」
「そう……ですね」
ぐすりと鼻をすすり、まだ流れる涙を放って、僕もがさごそと袋の中身をテーブルに出した。ほかほかと温められた牛丼を手に取り、「いただきます」と呟く。
頬張る度に、甘辛く味付けられた牛丼に、涙のしょっぱさが混ざるけれど。先日一人で食べた時の何倍も、美味く感じた。
***
「御前崎さんに食事に誘われて、私、嬉しかったんですよ」
槙さんがそう話してくれたのは、それから数日後のことだった。
「そうなんですか? 僕はなんだかあの時、距離を置かれたような感じがして……実はちょっとへこんでたんです」
「嬉しいと思った途端に、なんだか御前崎さんのことを男性なんだってすごく意識しちゃって。そしたらなんだか、どうしたら良いか分からなくなっちゃったんです。かと言って、御前崎さんのことが怖くなったとか、そういうわけでもないし、良いところを見せたいけれど、良いところだけを見られて私という人間を判断されるのも嫌で……なんか、変にぐるぐる回っちゃってて」
そう言うと、槙さんはグラスのワインをくいっと飲み干した。
先日行き損ねたバルに、僕らは来ていた。イタリアンが好きだと言っていた槙さんは、嬉しそうに料理を次々注文している。
雰囲気の良い音楽と、食器の擦れる小さな音。それらを聞きながら、僕は口を開いた。
「来月、でしたよね。イギリスに行かれるの」
「はい。取り敢えず、年度末までの予定ですけど」
槙さんが笑う。仕事で海外に行くことになったと報告してくれたときの彼女の目は、きらきらと輝いていた。