「なぁぁんで僕が叩かれるんだよッ!」
――と、叫びたくても叫べないのは、僕が理性的な大人で、かつ隣の部屋に僕を叩いた張本人が住んでいると知っているからで。
はじめから読む▶御前崎薫は… vol.1~女が怖い~
コンビニで転びそうなところを助けて何故か引っ叩かれた僕は、心配そうにこちらをうかがう店員をやり過ごし、当初の予定通りビールを買って帰宅した。それをぐいっとあおると、久しぶりのアルコールはぐぐっと僕の脳にまで染み込んでくるような、そんな錯覚を覚えた。
叩かれた頬は、まだ痛い。あんな澄ました顔して、助けた他者を攻撃するほど完全な酔っ払いだったとは。
じんじんとする頬に冷えたビール缶をそえる。こっちだって、できることなら女性に触りたくなかったのに。
ただ一つ。少し引っかかるのは槙さんの目だった。悲鳴を上げ、僕を叩いた瞬間の槙さんの目が、なんだか――ひどくショックを受けているように見えた。
あれは、なんに対するショックだったんだろうか。
(身の証を立てたはずの隣人が、やっぱり変質者だったと思って……とか?)
ただあの状況で、咄嗟にそこまで頭が回るなら、よろけた自分を助けてくれたとまで思い至る気がするけれど。まぁ、酔っ払いならではの理不尽さというやつかもしれない。
風呂に入る気力も失って、そのままソファーに沈み込む。目を閉じると、ぐぉぉぉんと冷蔵庫の音だけが耳に届いた。隣の部屋からは、物音一つ、聞こえてこなかった。
***
聞き覚えのある音でのそのそと目を開ける。気がつけば、窓からは明るい陽射しが射し込んでいた。
「もう……朝、か」
大きく伸びをし、腕につけっぱなしだった時計を見ると、すでに十時を回っていた。こんな寝坊をするのは久しぶりで、思わず二度見する。しかも起き上がろうとすると、頭が痛い。見るとテーブルには、空のビール缶が転がっていた。
「うぅ……二日酔いなんて何年振りだろ……」
すきっ腹に、慣れないビールを一気なんてしたのがいけなかった。おまけに、風呂に入らなかったせいで自分が臭い。
「シャワーでも浴びるか……」
あくびをしながら、まだ重たいまぶたを必死に開いて歩き出すと、起きたときに聞こえた音が、また聞こえてきた。
「これ……確か、玄関のインターホンじゃん」
うちのインターホンは一階の入口から鳴らしたときと、玄関で鳴らしたときとで音が違う。こちらは、友人が訪ねてくるか出前を取るかでもしない限り、なかなか聞かない音だ。
重たい頭をなんとか動かしながら、のそのそ玄関へと向かう。
「はぁい、どちらさま……」
そう、扉を開けると。
「……おはようございます」
見覚えのある女性が、そこに立っていて。僕はそのままスッと静かに扉を閉めた。
(ま……槙さんッ!?)
残ったアルコールでむくんでいた頭が、途端にシャキッと動き始める。
(なんでお隣さんが急にっ?)
もしかして、昨日抱きつかれた(と、思い込んでる)ことに対する復讐だろうか!? またあの夜みたいに、ねちねち文句を言われるとか……っ?