私は手紙をそっとテーブルに置くと
「パパ、ママ、話してくれてありがとう」
とだけ告げ、荷物を掴むと家を飛び出した。
どうしても行きたいところがあった。坂道を駆け降りて、高級タワーマンションが並ぶ塗装された道を全力で汗を飛び散らせながら、私は走った。
辿り着いたのは、とあるマンションの一室。肩をゆっくりと大きく動かし弾ける息を整える。震える手でずっと持っている鍵を差し入れ回すと、がちゃりとドアが開いた。
そこは生前、照にいが一人で暮らしていたマンションだった。照にいが夜遅くまで勉強し、時々家が嫌になった私を苦笑いしながら泊めてくれた大切な場所。
時折ハウスクリーニングを頼んでいるおかげか、照にいが今でも部屋のソファに座ってそうで。でも、やっぱりいなくて。電気もガスも水道も通っているのに。
誰もいなくて、ずっと。
私はドアを閉め、カバンを玄関に置き書斎の電気を点ける。カーテンを開くと何も変わりない名古屋の夜景がキラキラと光っている。
そしていつも照にいが勉強していた木製のデスクに座ると、いつも開いていない一番下方にある引き出しが少しだけ開いている。
なんとなく「おいで」と呼ばれているみたいで、ひび割れた短い爪の指でそっと開く。
すると書類の間に、一冊の本を見つけた。
「臓器提供のドナーになるために」
という分厚い本。そっと手に取る。パラパラと捲ると几帳面な照にいらしく、いくつも赤ペンで線が引かれていたり、綺麗な文字で書き込みがされていた。すると本の間に折り畳んだ紙が見えた。私はそれを手に取り、ふわふわのソファに座る。
一息つき、そっと手紙を開いた。不思議だけど照にいの香りがふっとしたような気がした。
万年筆で描かれた几帳面な字、それは家族に向けられた手紙でもあり、とある人へ向けられた「希望」だった。
その横にはまるで隠していたのか、夜食用の「芋けんぴ」の袋が見える。
そうだった、お兄ちゃんは芋けんぴ、大好きだったもんなぁ…!!!
私は、いつのまにか大声で泣いていた。空を仰ぎ子供のように恥ずかしいくらいに。
いくらか泣いた後、私は突然急いで会わなくてはいけない人がいると思って、ぐいっと顔を腕で拭った。そして手紙を大切に、大切に鞄にしまい電気を全て消すとスニーカーを急いで履いて、ドアをがちゃりと閉めた。
空には月が登りはじめていてた。
彼に会いたい…でも、私にはしなくちゃいけないことがある。
人が生きている時間は短い。
だからこそ私は、ただ懸命に踊るんだ。
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新たな”心臓”を手に入れた青年・時生。普通に生きろとは何か?彼の本当の”夢”とは?