病院にたどり着くと入り口に走り込む。待合室では父が焦りを隠せずに座り込んでいた。
「パパ!」
「蘭…!」
思わず倒れ込んだ私を、父はしっかり支えた。
「照にいは?ねえっ!どこにいるの?状態は?」
「まだ分からん、だが意識はない。真正面から自動車同士が衝突したようだ。重傷で意識不明だそう…だ」
全身の力が抜ける。
「面会謝絶だ。俺たちも会えない」
私たちは手術室の前のベンチに泣いてばかりの母と3人で座って時間が過ぎゆくのを待った。その間、何人もの看護師や医者が手術室から小走りで出たり入ったりする足音を聞いていた。
どのぐらい時間が経ったのだろうか、私がボンヤリと顔を上げると手術室から出てきた責任者らしき医者がとある書類を持ち両親に見せていた。
思わず私も立ち上がる、そしてゆっくり近づいていった。
「我々も手を尽くしておりますが、既に事故に遭われた時点で脳に大きなダメージが残ってしまったので、もう…意識を取り戻す可能性は低いと思われます」
「…そんなっ!照文!どうにかならないんですか!?先生っ!」
思わず悲鳴のような声を上げるママ。
「つまり…意識が戻る可能性は低い…ないと考えた方が良いのでしょうか?」
震える父の声に、一呼吸置いて頷く医者。
そして書類をすっと父の前に出した。
「御子息、照文さんの財布を拝見しました。保険証を拝見した時に正式な臓器提供意思登録書があることがわかりました。
照文さんが提供を希望されているのは、角膜、肝臓、肺、脾臓…そして心臓です」
心臓…その言葉を聞いた時、私たち家族の周りの温度がすっと下がるような気がした。
脳死状態の兄から心臓を抜き取るということは、もう二度と生き返ることはない。
心臓は他の心臓移植が必要な”誰か”に埋め込まれていく。
「…やだ!まだ照にいは生きるよ!やめて!パパ!」
「今すぐ、そんな人が必要なんですか?」
私とママの叫び声が廊下に轟いた。
「…章魚さん、厳しい様ですが移植するならもう時間の猶予はありません。残酷なようですが補助人工心臓を患者に用意し、取り出した臓器をすぐ移植し感染症などもないように細心の注意も払わなければいけません。決断はお早めにお願いいたします。
これは医者としての私の身勝手な一言ですが…息子さんは法医学医を目指していらっしゃったということ、彼の意思はとても固かったと文字を拝見して思いました。よろしくお願いいたします」
医者はそう言い残すとまた手術室へ消えていった。
残されたママは大声で泣き出すとパパに縋り付き、私はその場にへなへなと座り込んだ。
「…移植しよう、照文の夢は人を助けたいとかそういうことだったはずだ。心臓がどこの誰のもとへ行くか分からないが、それでも心臓が動き続けるのならば彼にとっても本望だろう」
私とママをぎゅっと抱きしめたまま、パパは強く涙声で言った。
医者を再び呼び寄せると、パパは書類にサインした。それを確認すると医者は深々と頭を下げ小走りで手術室に消えていった。
私たちはもうその場にいたくなくて、受付の待合室へ行くことにした。その時、もの凄い勢いで点滴が繋がれたストレッチャーに乗る青い手術着を着た若い男性とその家族らしき人々が手術室へ入っていくところを見た。
呆然とその家族を見つめる私たち。ストレッチャーに乗せられた青年と一瞬、目が合った気がした。当時14歳だった私より年上みたい。パパとママも青年の両親と顔を見合わせたらしい。
何かを感じ取ったんだろうか、彼の両親は涙を流しながら、深々と頭を下げた。
青年はそのまま手術室へ消えていく。
「…行くぞ」
パパとママはその顔を見るのが辛そうで、私の肩を抱くと反対方向へ歩き出した。
もう空は明るみ、太陽が登ろうとしていた。
とても、とても長い夜だった。