耳元で響く声は、砕け散った鉢植えと共に崩れて行った。
「…ごめん…」
自分が思っていたよりも、狼狽したのだろうか、さっきまでヒステリックに騒いでいた娘が心配の声を上げた。
「否…良いんだ。
こちらこそ、急に驚かせたね。…そういえば、君、学校は?いいの…」
誰かに傍に居て欲しくなくて、思わず言葉を並べ立てる。
少女がなんと返答を返して、去っていったのか覚えていない。
ただ、短く何かを言って、駆け出して行った背中を見送る。
「黄色いスイートピーの子だよね…やっぱり、合っていた。」
判断力が長けている少女。
自分なんかよりも、人を見る目がある。
―こんな男に騙されてはいけない…―
茫然と、地に砕けたコリウスを見ていると急に肩を叩かれる。
続いて腰に来るような低音が、臍に響いてきた…。
「ただ見てるだけでは、可愛そうだ。カップか何かを持って来なさい。」
懐かしいフレーバーの香りに包まれる。
タール強めなタバコと、ブラックコーヒーを浴びたような、年を重ねた男の暖かさだ。
「仲井…さん…」
「今日も、手土産を一つ頼む。」
仲井は必ずオープン直後に姿を見せ、夕方にそれを取りに来てくれる常連客の一人だ。
―夜の仕事を辞める…―
そう誓ってから、花になんて興味がないだろうに、通ってくれるようになった。
仲井の事務所はこの店がある錦三丁目に面する桜通り沿いにあり、陽の高いうちに顔を出してくれる。
己の過去も感情も、この小さな鉢植えの様に地に叩きつけるだけで、木っ端みじんに砕けてくれたらいいのに。
ふと、そう思った時。
仲井が店内から佐伯のコーヒーカップをもってきて、コンクリートに晒されたコリウスを拾い上げた。
「こいつは、まだ死なねぇだろ。」
息からも独特のフレーバーが漂う。
それも、やっと懐かしいと受け入れられるようになった。
「俺も、年取ったなぁ…」
「はぁ?小童(こわっぱ)の分際で生意気だぞ!」
言葉のチョイスが相変わらず古臭い。
我が物顔に店の奥に入って行き、佐伯のパイプ椅子に腰を下ろして、胸ポケットからブラック缶コーヒーを出して、飲み始めていた。
佐伯はそのマイペースな姿を横目に、すっかりと毒気が抜かれてしまっていた。
「…で、今回は誰に花束を用意するんですか?」
「何だ?その言い方は…嫁さんだよ!たまにはなぁ…」
「へぇ~」
こんな風に話せるようになったのも、此処最近の話だ。
「今日も夕方に取りに来るからよ。作っておいてくれよ。」