NOVEL

妻のトリセツ Vol.1 『理想の彼女』の押し付け

 

 

「遅いなあ。寒いんだから、あんまり待たせるなよ」

 「ごめん、裕司」

  栄で待ち合わせをしていたが、時間に遅れた訳でもない。けれど不機嫌そうな裕司の元へ駆けていくと、彼は加奈恵の格好を見てほんの少しだけ相好を崩した。

 「よし、少しはマシな格好してきたな。いつもみたいなのはさー、俺やだったんだよね」

 「うん……」

  そう。今日こんな服装をしたのは理由があって、裕司が加奈恵の好きなパンツスタイルに異を唱えるからだった。

 (別にいいと思うんだけどなあ、お姉さんらしいスカートじゃなくても……)

 

「よし、じゃあ行くか」

 「行く? どこに?」

  そう言うと、裕司は自慢げに答えた。

 「ディナークルーズ、予約したんだ」

 

 ***

 

 

 

 

(こんなとこに行くなんて知らされてたら、もっと素敵な格好してきたのに……!)

  サプライズだって、時と場合がある。限度も。今回のはいくら何でやり過ぎだと思った。

 

 周りを見回すと、名古屋港からぐるっと回って運行する限定クリスマスディナークルーズのカップルは、みんな綺麗な服装で、何より楽しんで豪華な夕食をとっていた。

 「おー、いい眺めだなー。飯も美味いし」

 「う、うん、そうね。すごく美味しい……」

  加奈恵は心の準備が出来ていなかったが、裕司はすっかり満喫している様子だ。確かにご飯はとても美味しいし、眺めも素敵だけれど……。行くならちょっと前に知らせてほしかったと思うのは、わがままだろうか?

 「おい、どうしたんだよ加奈恵。俺がここまでしてやってるんだから、もっと笑えって」

  目の前の席に座る裕司が、急に怖い顔をしたので、加奈恵は慌てて居住まいを正した。

 「ごめん、裕司。ただ、ちょっとびっくりして」

 「びっくり?」

 「うん。まさか急にディナークルーズなんて……」

 

 けれど、そんな加奈恵の思いは伝わらない。裕司は加奈恵の戸惑いを別のものと勘違いしたのか、                  「そうかそうか、じゃあもっとびっくりさせてやるか」と、                                    がさごそ音を立てて大きな紙袋を取り出した。それを加奈恵の方に渡してくる。

 「なに、これ? ……プレゼント?」

 「うん。開けてみろよ」

  加奈恵は言われるがままに紙袋から中を取り出しかけ……閉口した。

 

 中に入っていたのは、まるでドレスのような見た目の、薄ピンク色をしたワンピース。バッグに指輪、ネックレス。加奈恵が余りのことに口をぱくぱくさせていると、ご機嫌そうな裕司が言った。

 「今度それ着てデートに来いよ。俺、こういう服着た子って好みなんだよねー。な、こんなに沢山尽くしてくれる彼氏がいて、加奈恵は幸せだな!」

  裕司はそう言ったが、加奈恵は何とも言葉を返せなかった。

 

(……もしかして、彼は私が好きなんじゃなくて、『理想の彼女』を私に押し付けてるだけなんじゃないだろうか……)

  そんな思いが、加奈恵の心の中に芽生え始めた。

 

 ***

 

 そして、加奈恵の心の中にある一抹の不安をよそに、二人はのちに結婚する事になる。

  しかし、加奈恵の不安は的中した。裕司は理想の彼女を、妻を、そして――家族を。加奈恵やその子供に押し付ける、傍若無人な夫と化したのである……。