一生に一度は訪れたいと言われるフランス、パリ。
ホテルや教会、彫像や噴水、建物、モニュメントなど、夜も美しいライトアップで彩られるパリは「La Ville-Lumière(光の都)」と呼ばれています。誰もが知るエッフェル塔のニックネームは「City of Lights(シティー・オブ・ライト)」なんだそう。
今回はフランスの首都パリで行われる「パリ祭」について知る前に。フランスがどこにあり、どんな場所なのか、そして、どんな歴史があるのかについてご紹介します。
01/フランスを知る
ヨーロッパの西端に位置しているフランス。北から西へ、北海、英仏海峡、大西洋に接しており、南側には地中海が広がっています。
人口は約6700万人で、日本のおよそ半分です。国土面積は欧州連合最大の約55万平方キロメートル。日本の国土面積はおよそ38万平方キロメートルなのでフランスの0.7倍程。フランスの7割は平野が広がり、緑豊かな畑や牧草地が続き、残りの3割は山地や丘陵地。四季はありますが地域によって差が大きいようです。南の地中海側は冬でも暖かく、一方で北部は雨が多く、ローヌ・アルプス地方では積雪があります。普段の日本との時差はマイナス8時間ですが、4月~10月のサマータイムの間はマイナス7時間に変わるようです。
02/フランスの歴史
1000年以上の長い歴史を持つフランス。ここではその歴史について簡単に見ていきましょう。
フランスの誕生は843年に「カロリング朝フランク王国」という国が分裂し、870年にメルセン条約が結ばれたことによって始まりました。この時、イタリアやドイツの原型も誕生しましたが「西フランク」という国が現在のフランスのベースになっているそうです。それから117年後の987年にカロリング朝王家が途絶え、パリ伯ユーグカペーという人が王に選ばれた時から、この地域は「フランス」と呼ばれるようになりました。その後、フランスはルイ14世の絶対王政という政策の元で大きく栄えます。誰もが知る有名な、ヴェルサイユ宮殿が建設されたのもこの頃です。
そして1775年、アメリカの独立戦争や王妃マリーアントワネットの浪費により財政がどんどん厳しくなったため、ルイ16世まで継承された王家が衰退しはじめます。フランス国民の困窮とはかけ離れた贅沢な暮らしをしていた、マリーアントワネット像を象徴する言葉として「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ったのは有名な話です。現代ではマリーアントワネットの言葉ではないという説もあるようですが…。
18世紀になると、ついに農民達の不満が爆発します。それがいわゆる「フランス革命」です。ルイ16世はなんとか不満を鎮めようと、様々な緩和政策を取っていましたが、パリのバスティーユ牢獄を民衆が襲撃します。それにより、絶対王政が崩壊、誰もが知るナポレオンの出現によりフランス革命は事実上終結しました。このフランス革命が起こった日、1789年7月14日がフランスの建国記念日になり、現在の「パリ祭」が行われる日なのです。
03/フランスとパリの繋がり
セーヌ川を挟み右岸と左岸で形成された誰もが憧れる美しい町、パリ。ファッションにグルメと常に最先端を走り続ける魅力あふれる街です。ルーヴル美術館、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔など、定番観光地を巡るだけでもかなりの見応え。
そんなパリは紀元前250年ごろにセーヌ川の中州(シテ島)にケルト人民族が住み着いたことから始まったそう。シテ島に住み着いたケルト人たちパリシィは、城壁を作って住んでいました。パリという地名もこのパリシィから付けられたとか。そしてここから何千年もの間、破壊と再生を繰り返していった後、ローマ人の支配に下りました。
1世紀頃はシテ島のみでしたが、14世紀頃になると市街の面積は439ヘクタールほどに。それに伴い、人口が10万人にも膨れ上がっていきました。
1590年、パリ市民の反発を受けたアンリ4世によってパリが攻撃されます。これは中世のパリ最大といってもよいほど大きな事件でした。この攻撃によりパリに貧困が広がりました。1594年、市民たちの抵抗もむなしく、アンリ4世は市政府との連座のもと、パリに入りフランス王に即位しました。
そこからしばらくした17世紀、ルイ14世の時代が訪れます。この時代は「太陽王」と呼ばれるほど平和で幸せな時代だったと言われています。しかし、彼はパリを好まずヴェルサイユ宮殿に入り浸っていたそう。ここまでにパリは、他の都市とはかけ離れるほど繁栄しており、17世紀の半ば、建物は約25,000棟におよび人口が50万人程に達していました。そして先ほど、フランスの歴史でお話したように、18世紀末になるとまた市民は貧困に陥り始め1789年7月14日に運命の日が訪れました。
04/「パリ祭」のはじまり
このパリ祭の始まりはというと、フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃事件の一周年を記念して、翌1790年に行われた全国連盟祭が起源となっているそうです。
◆◆フランスとパリを知って理解を深める
いかがでしたでしょうか。
文化や歴史を理解し、フランス、パリを身近に感じることはできましたでしょうか。
日本が誇るフレンチの殿堂「ひらまつ」では、フランス料理を通して一人でも多くの方、にフランス文化に触れほしいという想いから、毎年「ひらまつパリ祭」が開催されているようです。
次回は、華やかな祭典「パリ祭」についてご紹介します。
日本でも注目を浴びるパリ祭。本場パリではどのようなイベントが開催されるのでしょうか。楽しみ方も併せてご紹介します。
Au revoir!また会う時まで!
Next:7月21日更新予定
「光の都パリで行われる華やかな祭典「パリ祭」とは?~イベント編~」をお送りします。お楽しみに!
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