美果は名古屋では誰でも知っている企業に勤めていると聞いたことがあるし、オフィスは名駅にある。
やはり密会などの色めいたものなのだろうか。俄然興味がわく。
昔付き合っていたとはいえ、こちらに未練はないはずだった。
そもそも別れたのも、美果があまりに自らの未来設計がきちんとしており新一の入る隙間がないように思えたからだ。
芯が通り、自分のやりたいことがはっきりしている彼女は将来きっと新一を切り捨てるだろう。それならば傷つかない今のうちに別れようか。
まだ20そこそこで、留学という物理的距離に耐えられなかったせいでもある。
美果は寂しいと言って電話してくるような女ではなかった。実際、アメリカにいる新一の元には何気ないメールばかりで、寂しい、会いたい、といった言葉はなかったように思う。
大した話し合いもできないまま別れを告げ、美果は何も言い返すことなく別れの言葉を受け入れたのだった。
バーで見かけてから時間が経つごとについ美果の姿を探すのがクセになってしまっていた。
今はどんな生活をしているのだろう。
結婚はしているのだろうか。それともこのホテルで不倫なのか?
想像ばかりが増してくる。
新一はそこそこ女性から誘われる方だが特別なパートナーはいない。今はそれよりも仕事に時間を割きたいと思っている。まだ事業の成長に目を向けなくてはならない時期だ。
そして、ちょうど飲みすぎた夜だった。
大手の取引先と契約に至ったものの、こちらの望むような条件ではなく不満が残る内容だった。契約ができただけでも喜ぶべきなのだが、無理をしてまで契約するべきなのか、それとも納得のいく取引に絞るのか経営者としては迷うところだった。
これからの成長拡大を見越すのであれば紛れもなく前者である。しかし、せっかく自分の立ち上げた会社であるのだし価値観にあった仕事を進めていくためには後者である。
事業を立ち上げてまで本当にやりたいものは何だったのか、そう鬱々と考えながら少々飲み過ぎてしまった。
そろそろ帰ろうかという時に美果がカウンターに座り、つい凝視してしまう。
バーを出るタイミングで自分も出て、慌てて追っかけてしまったのだがほぼ無意識にやってしまった行動だった。
声をかけてどうするのだというのだろう。
腕を掴み視線が合った瞬間に我に返った。それに別れ際に衝動的に名刺を握らせてしまった。
それから一度自分のオフィスで会い、友人のように何気ない会話をした。キャリアの相談をされたのは意外だったが、新一が思うことをそのまま伝えたことで美果の背中を押すことができたようだった。
美果はいい女になっていた。
そして先日、また会えないか連絡をしたが返事は来ていない。
◆
スイートルームに加奈子を呼び出した時点で美果の気持ちは固まっていた。相談というよりも、罪悪感を打ち消したくて話したくなっただけだ。
冷めてしまったアールグレイを飲み干して加奈子は言った。
「なるほどね。また例の元彼から連絡が来て会うのね」
「変な言い方ですけど、どこかでまた会いたいって私も思ってたんですよね。色恋とかじゃなく別に夫を裏切るとかではなく…何でしょう。昔の友人と気兼ねなく話したいというか」
都合のいい言い方だ。それはわかっている。
「確かにあなたからそんな色っぽい気持ちは感じられないわ。でも向こうはどうかしら?」
「どうでしょう。自惚れるわけではないですけど、ゼロではないかもしれません。ただ、過去にふられたのは私の方ですし今結婚していることも夫の話もしましたし…」
「過去のことや既婚者であることは関係ないんじゃないかな。もしそうなら世の中に不倫が存在しない筈だし」
確かにそうだ。
罪悪感はある。夫の高史に対しての。
でも友人なのだから罪の意識を感じることはおかしいとも思う。