「なんで皆社会の基準に合わせたがるんでしょうね?結婚して、子どもがいて、皆が思い描くような生活をしているのが当たり前だと思ってる。でも、それがおかしいことに気づいていない」
長々と息を吐きながら愚痴を言ってしまう。
「やっぱりキャリアだとか外の世界を知っているとかそういうことも影響しているんじゃないの?あなたは一度フランスに行っているから違う価値観を持っているだろうし。ご友人たちはずっと同じ学園内で過ごしてきて、人によっては家族代々そこに通っているんでしょ?それは素敵なことであると思うけど、あなたに比べたら保守的になるかもしれないわよ。結局個人差だと思うけど」
それも一理ある。
先ほど言われた言葉を反芻してみる。
「子どもがいる生活っていいものよ」
「仕事大変でしょ?旦那さんが稼いでるならそこまでしなくても良いんじゃない?」
彼女たちが無邪気に発する言葉は美果を下に見ているように感じられるものだった。
以前は「そこまで働いて得られるものって何?」と不躾に聞かれたこともある。
集まるのは美果を入れて5人だが、現在は皆子どもを持っているし、専業主婦もしくは夫の事業を手伝っているので会社員として働いているのは美果だけだった。
そう言われる度に細く小さな棘で傷つくのだが、美果自身はわかっている。
それぞれが望む幸せを選べばいいのだ。
今の生き方は自分の気持ちに何ら反するところはない。
ただ、周りから半ば押し付けるような口調で言われたのが悲しかった。
キャリアを重ねる自分を否定されたような気がしたのだ。
テレビのCMなどでも一般的に描かれる家族像。
顕著なのはカレーやシチューなどのCMだ。まだまだ日本ではそれが当たり前とされており違和感を感じずにはいられない。
一方で加奈子のように子どもがいても美果のような考えを認めてくれる人もいる。
夫の高史は今の美果を誇りに思ってくれていることがわかるし、そんな他人の言葉に惑わされることはないのに。
「違和感を感じる付き合いは放っておくのが一番よ。さ、せっかく美味しいモンブランを買って来たんだもの。食べましょう」
前に一緒に行ったことのある覚王山のカフェのものだ。
美果が気に入っていたことを覚えていてくれたのだろう。
「それで?結局応募したんでしょ?この間のマネージャーポジション」
先日インタビューを終えたところだった。
「ええ。でも今回駄目かもしれないです」
「あの第2部署の帰国子女がいるから?」
フランス留学経験者が少ない社内ではあるが、応募者の中には昨年フランスから帰国したという女性が一名いたのだった。
「転職してきたばかりの子よね。社内でもフランス人スタッフと会話しているのをよくみるわ」
「そうなんです。向こうでも商社に勤めていて管理職経験があるみたいで。現地ではうちの会社とも取引をしていたのだとか」
一年留学していただけの美果に対して帰国子女が対抗馬に来たのでは敵わない。
美果よりも年齢は6歳ほど若く、かつ社歴も短いのだがそのような面を考慮する会社ではない。実力がある者の方が上に行くのが道理だ。
「正直な気持ちを言うけどね、彼女の方が今回のポジションには有利かもしれないわね。もし今回受からなかったとしてもキャリアを積んでいってまた次のチャンスにトライしてほしいと思うわ」
そうなのだ。競争が存在する会社だからこそ、アプライして落ちる人は多い。アプライしたこと自体が人事部で評価される一面もある。トライしない人間は評価が低い。