「まずは、登りやすいところからやってみましょう」
そう言って、槙さんが案内してくれたのは、壁に傾斜がほとんどないところだった。
はじめから読む:御前崎薫は… vol.1~女が怖い~
「レベルによって、使っていいホールドの色が違いますので、御前崎さんはピンク色のを使ってください。それから、ホールドの横にマークや数字がありますよね」
「はい、これですね」
言われるがままに、僕は「1」と書かれたテープを指さした。
「これは、コースを示しています。なので、今回御前崎さんはピンク色の1番と書かれたホールド以外、使ってはいけません」
「足も……ですか?」
「足は、自由なところに置いて良いです。レベルが上がると足も指定されますけど。まだ、大丈夫です」
「分かりました」
頷いて、取り敢えず登ってみる。真っすぐな壁を登るのは、脚立を登るより少し力がいるというくらいで、そんなに難しくない。ぐいっ、ぐいっと腕で身体を引き上げながら、ゴールの印がついている、頭上のホールドを目指す。
「ゴールは両手でつかんでください……そうです。降りるときは、自由に降りてください」
どのホールドを使って良いと言われても、降りるときの方が少し大変な気がした。足がクッションにつくと、「大丈夫そうですね」と槙さんが頷く。
「基本的なルールは今言った通りなので、あとは自由に挑戦してみてください。ピンク色の、いろんなコースをやるのが良いと思います」
「はい」
「じゃあ、私もやってくるので」
ぺこりと頭を下げると、槙さんは離れて行った。
「じゃあ、次は2って書いてあるやつにしようかな」
腕をよく回してから、ホールドに取りつく。そのまま順調に3、4とこなしていき、楽勝だなと思っていたら5番目のコースでつまずいた。
「あれ……次のホールドはどこだ?」
上を探しても、手近に「5」と書かれたテープが見当たらない――かと思うと、右横にコースが伸びていた。
(なるほど……上じゃなくて、横に行く場合もあるのか)
よいしょ、よいしょと横に進むうちに、腕がプルプルしてくる。
「うぐ……ッ」
駄目だ、と思うと力が抜けてそのまま背中から落ちてしまった。バフッ、と大きな音がするわりには、痛くない。
「腕がもたないな……ゴールはどこなんだ?」
離れて眺めると、もう少し横に行った先に、ゴールがあった。
(腕の力が残っているうちに、あそこに辿り着くには……なるほど、だからみんな、登る前に壁を見つめてるのか)
黙々と考えていると、不意にハッとした。そうだ、僕はこんな真剣にボルダリングをやりに来たわけじゃなくて――。
そう、周囲を見回すと、離れた壁に槙さんの姿があった。
「げ……あんな急斜……っていうか、もう身体引っくり返ってるし」
手足をホールドに引っかけ、ほとんど天井みたいなところに張りついている槙さんは、目線をその先の、手の届きそうもない離れたところに向けていた。
(あんなの……どうやるんだ?)
身長が高ければ、届くのかもしれない。でも、ヒールを脱いだ槙さんはどちらかというと小柄だった。それが、あんなところは無理だろう。