槙さんがまた、小さく俯いて考え込む。その視線が、ちらりと僕の手に向いた。僕は見えやすいよう、左手を彼女にかざす。
「結婚はしておりませんし、現在お付き合いしている女性もいません。ですから、どうしたものかと悩んでおりまして……槙さんが今回の提案にのってくだされば、僕も大変助かります」
「そう、ですか……」
またしばらくの沈黙後、「分かりました」と彼女は頷いた。あの、感情を見せない顔で。
「ぜひ、宜しくお願い致します」
***
(あの時は喋りながら、我ながら良い案じゃないかと思ったんだけどな……)
いざ、こうして出かけるとなると。俄然、気が重い。もうこの場から逃げ出したくて仕方がない。大体、この時間を捻出するために、休日にやりたかった仕事も減らさざるを得ない。もしくは、睡眠時間を削るか。睡眠時間を削ると翌日のパフォーマンスにも響くから、あまりやりたくはないのだけれど。
時計を見ると、待ち合わせまでまだ五分ある。少なくともあと五分間、このなんとも言えない気分と戦わなければならないのだと思うと――。
「お待たせしました」
涼しい声が聞こえて振り返ると、エレベーターから槙さんが降りてきたところだった。
「おはようございます。まだ、待ち合わせ前ですし」
「では、早くに来てくださりありがとうございます」
槙さんが丁寧に頭を下げる。近くまで来た彼女を見て、あれ? と違和感を覚えた。いつもより、なんと言うか小さい感じがする。ついでに言えば、そもそも雰囲気が違う。
その理由はすぐに分かった。ヒールのない、動きやすそうなシューズを履いているからだった。もしかしたら、化粧も違うのかもしれない。上は少し大きめなTシャツで、細身なモスグリーンのジョガーパンツを履いている。背中には、やや大きめの黒いバックパック。これが、休日の彼女の姿なのだろう。
「確認ですが、今日は私の好きな日程で良いのですよね?」
「はい。そうでなければ、お互い意味がありませんから。槙さんの、楽しいと思うことに僕が同行する形でいきましょう」
頷くと、槙さんは少し困った顔になって付け加えた。
「あと……食事なんですけど」
「食事は別にしましょう。なんなら、無理せずで午前中に解散でも良いですし」
それを聞くと、彼女の顔が少しほころんだ。
僕と――というか、男と同席で食事をするのが、よほど嫌だったんだろう。僕だって、女性と食事をしたところで味も分からなくなるだけだから、その気持ちはよく分かる。誰だって怖いものや苦手なものと、差し向って食事なんかしたくないだろう。
「それでは、私が日曜に習慣としていることに付き合っていただきたいのですが」
「はい、分かりました」
彼女は表情を引き締めると、「では」と歩き始めた。一メートルほど離れて、僕もその横を歩く。
「どちらに向かうんですか?」
槙さんは、ちらりとだけこちらに目線を向けて答えた。