なんでこんなことになったのか――マンションのエントランスに立ち尽くしながら、僕はドッドッとうるさい心臓をなだめるのに必死だった。
日曜日の朝。女性恐怖症とも言える僕は何故か、隣の部屋に住む男性恐怖症の女性――槙さんと待ち合わせをしていた。
はじめから読む:御前崎薫は… vol.1~女が怖い~
いや、「何故か」というのは語弊がある。だって、彼女を誘ったのは僕なのだから。
でもどうして誘ってしまったのか、それが未だに、自分の中で整理がつかないでいた。
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「僕と、出かけませんか?」
あの時。僕のそんな言葉に、槙さんは目を大きく見開いて、半歩後退った。「ドン引き」というのはこういうものかと、妙に納得しつつ、僕自身も自分の発言に混乱していた。
「あの、違うんです。変な意味ではなくてですね。その――槙さんが、現状を変えたいと仰るのであれば、そのお手伝いができるのではと思いまして」
すらっと言葉を紡ぐ自分の口に驚きつつ、表情を笑顔にシフトする。そうすると、カチッと自分の中でスイッチが入った気になる。仕事モードのスイッチだ。伊達に、前線で戦い続けながら社長なんてやっていない。
そうだ――僕はやればできる男だ。そうなるよう努力してきた。だからこの場だってのりきってみせる!
「……意味が分かりません」
警戒しながら呟く槙さんに、「つまりですね」と淀みなく口八丁で続ける。
「槙さんは以前、男性に不信感を抱くできごとがあったからこそ、恐怖心を抱くようになり、仕事でも支障をきたすようになられたのですよね。つまり、逆も起こりうるのではないかということです」
「逆、と言うと……?」
「男性と安心できる状態で、楽しい経験を重ねることで、『異性という存在はただ怖いだけではない』とマインドリセットできるのでは、ということです」
槙さんは口元に手をあてて俯き、しばらく黙った。
「……それに、御前崎さんが付き合ってくださる、と?」
「はい。僕でしたら、既に槙さんに身の証は立てておりますし、社会的な信用も十分かと自負しています。その上で、槙さんに対し、無理矢理恐怖心を与えるような行為をすることは、大きなデメリットがあります。槙さんが男性恐怖症であることも理解済みですので、適切な距離感をもって対応できるかと」
「――メリットは」
いつかの無表情になりながら、槙さんは鋭い口調で訊ねてきた。
「御前崎さんがそのようにしてくださることに、御前崎さんにとってのメリットがないと思いますが」
槙さんの男性恐怖症を克服させることでの、僕のメリット。確かに、これが説明できないと、「下心があるのでは」と思われても致し方ない。
実を言えば、メリットがなくはない。つまり、男性と距離をもって接する槙さんとだったら、僕も無理なく一緒に行動でき、あわよくば異性への恐怖心を共に克服できるのではないか、というメリットだ。
先日、葉山の出した案を、無理に彼女を作らずとも採用できるというのは、僕にとって大きなことだ。
ただ――このことを槙さんに言うのは。「僕も女性恐怖症なんです」と打ち明けるのは……。
「――実は今後、弊社で女性向けのサービスを扱うことになりまして」
にこりと笑顔を崩さず、僕は続けた。
「つまり、女性が好んだり、価値観に合うコンテンツを作らなければならず……もちろん女性社員を中心に進めてはいるのですが、僕もまとめる立場として、事業に携わらない外部の女性から、リサーチを行いたいと思っていたのです」
「リサーチ、ですか」
「はい。ですから、槙さんが好きなことに付き合わせていただくことが、僕にとって仕事上のメリットとなるわけです」