「沙耶香さん、どうなさったの?これ」
沙耶香のブラウスに飛び散ったワインを指差して瑞穂が尋ねる。
「・・ちょっと手が滑ってしまったの」
沙耶香の手元にはシャンパングラス。
言い訳としてちょっと苦しいけれど瑞穂は何も言わなかった。
その代わりに沙耶香の瞳を覗き込みながら手を引く。
「お誘いしたいところがあるの。良いかしら?」
この場を立ち去りたいと思っていた沙耶香には願ってもない。
「ええ、大丈夫」
「この方たち、お知り合い?」
瑞穂が周囲を見渡して聞く。
ぐるりと視線を送る。
美佐恵が立ちすくんでいるのが見えた。
もう、どうでもよかった。
「いいえ」
きっぱり答えた沙耶香の肩を抱いて瑞穂が声を掛ける。
「そ、じゃあ行きましょうか」
部屋を抜ける前、もう一度瑞穂は振り向いた。
美佐恵がビクッと身体を強張らせる。
瑞穂は窓際の楽士に声を掛けた。
「カノンをお願い。みなさま、ごきげんよう」
軽く会釈して扉へ向かう。
後ろ姿を見送るようにヴァイオリンとチェロの音色が流れ出す。
パッヘルベルのカノンの調べが空気を変えていく。
瑞穂と沙耶香はエレベーターに乗り込んだ。
先に沙耶香が問いかける。
「瑞穂さんはどうしてここへ?」
「ちょうど近くにいたの。あなたが来る気がしたから寄ってみたのよ」
出身校が同じ美佐恵からパーティーの案内がいつも届くのだという。
「これまで一度も来たことないの」と瑞穂は肩をすくめて微笑んだ。