それは他愛もない事。
生き残るための盾を持たない弱者は、些細な事で落ちていく。
忘れられない記憶と、己の愚かさが導いた現実は余りにも惨めで、彷徨い、そして張りぼてのプライドは崩された。
はじめから読む▶【錦の女】vol.1~「リナ」という名まえ~
中島は口数が多い方ではないが、ホステスではない店員に対しての態度は元から悪い。
アイス(氷)が少しでも解け始めると、黙って手を上げ代えろと指示を出す姿を何度も見かけた事がある。
井上の方は【RedROSE】の古くからの常連であるため、そこまでの事はしないが、川内君が来る前に開店当初から働いていた、年配のボーイは良かったと中島に話を合わせていた。
井上は中島と居る時だけ、面倒な客になってしまうのだ。
そんなこともあってか、ママの配慮で今までリナは2人がセットの時に席へ着くことは少なかったし、着くときは他に沢山のホステスをつけてくれた。
少なくともレイラと2人でという事はなかったので、今は顔なじみの井上相手でも勝手が解らない。
中島が舐めるように飲むロックグラスの水滴を拭くついでに、氷を足そうとした時だった。
「おいおい、せっかくのロックが水割りになっちゃうよ!」
中島は笑っているが、その目の奥は笑っているようには見えなかった。
隣に座っているレイラがする仕事をしなかったので、リナが手を出したつもりが不快にさせてしまったようだった。
「高いお酒は、飲み切りですよ。リナさん」
レイラが猫撫で声でリナを諭し、中島の機嫌を伺うようにグラスをリナから奪って手渡した。
「リナちゃんは、酒そんなに強くないからねぇ!知らなくても仕方ないからさぁ。
普段はそんな飲まないんでしょ?」
すかさず助け舟を出してくれたのは、常連の井上だった。
「はい・・・すみません。知識不足で・・・」
井上は豪快に笑い飛ばして、リナは「この擦れていないところが売りなのだ」と持ち上げてくれたが、居た堪れない気持ちは拭えない。
「君、いくつなの?」
中島がリナの顔を覗き込んでくる。
店では、25歳と言うようにしている。
今では、30歳を超えたホステスなんて珍しくもないが、夜の仕事だけでなく社会経験さえない玲子は、ある程度のミスは「若いから」で許されるように店内では口裏を合わせている。
勿論、子供がいる事もママにしか話していない。
「25歳です」
目の前にいる中島の表情よりも、隣に悠々と座しているレイラの方が気になる。
ぷっくりとしたピンクの唇を引き上げて、自分専用のグラスに口を付けて笑いをこらえているように見えた。
「そうかぁ、じゃあレイラよりは年上なんだね。幼く見えるけど」
乾いた笑いが耳につく。
「この仕事初めてどのくらいなの?」
「1年になります」
中島がこんなにリナに声を掛けてくるとは思わず、リナも真面目に返答した。
井上も少し驚いたように、大きな目をぎょろっとさせレイラを挟んで中島を覗き込んでいる。