莉子は予想外の昭人の返答に耳を疑った。
どこまで、この男は莉子を翻弄すれば気が済むのか?
「今度の土日、空いているなら、一緒にドライブでも行こう。お勧めの場所があるんだ…」
―土日?つまり、泊り…―
莉子は男と旅行にはあまり行かない。
旅行は一人で好きなところに行くものだと思っていた。一日中、気を遣うもの疲れる。
だが、昭人となら行きたい。
「でも…。」
昭人と二人の時には、滅多によぎらない顔が脳裏に浮かぶ。
『小枝子』の存在だ。
「大丈夫だよ。友人と釣りに行く事にしてあるから、僕が持っているペンションなんだけど、あいつは釣りに興味ないんだ。…莉子…も、嫌?」
嫌ではない。
嫌なはずがない。
そして、今…?莉子って呼んだ?
その端正な口で、莉子って呼んだ?
莉子は異次元に飛ばされた錯覚の中で、「行きたい!楽しみ」と答えていた。
その後、昭人がまた優しく啄むようなキスをくれた。
「じゃあ、今度こそ。」
昭人が、iPhoneをとりだし、タクシーのアプリを開いている時に、莉子はカバンからフレグランスの匂いをしみこませているハンカチを取り出し、昭人の唇をふき取る。
こういうところだけは、欠かさない。
それは、当たり前のような癖であったが、昭人の苦笑いを見て、胸が苦しくなった。
―あ、私…―
手慣れている女に見えただろうか?
不安はあったが、もうそんなことはどうでも良くなっていた。
先にマンションに入るように促され、名残惜しそうに最後まで手を振ってくれている彼の姿を見ながら、自動ドアのロック解除の為にカードキーを乗せる。
本当なら、このまま自室に連れ込みたい。
でも、多くを求めすぎてはならない。
『恋』も、需要と供給のバランスを崩してはならないのだ。
彼は、友人たちと釣りにいく約束にしていると言った。つまりは、最初から莉子を誘うつもりだったのだ。
そう考えなおして、もう一度昭人の方を見たが、既に新しいタクシーが来ていた。