男性トイレの個室に入った浜名はぐったりとしたように便座に座り込む。
目線は妙に冷たい大理石の天井を焦点なく見つめている。目の下には隈が深い。
浜名時生、詩人でのペンネームは山茶花アユム。彼のもうひとつの顔だった。
昼は父親から受け継いだベンチャー企業の長として、夜は眠れず家を持たず公園やどこかのホテルで一夜を過ごす。
もしくは…
手を洗い顔も洗う、滴る水滴を備え付けのペーパータオルで何度も拭いゴミ箱に捨てる。
トイレを出ると、同世代の一人の女性がスマホをいじり背中を壁につけながら彼を待ち構えていた。
「ねえ、時生」
「今日はダメ」
「やーだ、今日久々に会えたんじゃん、やろうよ、部屋もう取ってるし、カスミたちも時生が来るならって喜んでたよ」
「…疲れてるんだよ」
スマホの光を消すと、にっこり微笑みながら彼女が近づいてきた。
「ヤったら元気出るって」
どうしても俺を逃したくないらしい。
◆
ヒルトンホテル、デラックスルーム
部屋には、いくつもの鮮やかな色のハイヒールが無造作に転がっている。
時刻は、午前1時。
仄かな明かりの中で、いくつもの裸体の男女が交わっている。
眠れない本能と突き上げる欲望には勝てない。彼の思いがますます複雑に絡まっていく。
今夜、眠れないあの子は公園で踊っているのだろうか?
◆
「じゃあ、またねぇー、次は船上パーティでかな?会えるの楽しみにしてるー」
手を振りながら、シャワーを浴び完璧なメイクで素顔を隠した彼女たちが扉を閉めた後、俺はやっと大きなため息をついて、乱れたベッドの中で膝を抱えてうずくまった。
そのままふらふらとシャワーを浴びて、バスローブに身を包むと万双の黒いカバンの奥底からノートを取り出した。
重いカーテンをばっと開くと、朝日が顔を出すまであと数刻。
窓際の縁に腰掛け、愛用のペンを取り出す。
少し物思いに耽り、ゆっくりノートにペンを走らせた。
『僕はいつも四角い窓の中で空を見ている
美しい景色が見えているはずなのに
鳥や木々や花が見えているはずなのに
ずっと触りたいものが、憧れていたはずのものが
やっとふれられる”未来”が、やってきたのに
指を伸ばした時に、怖くなって
いつしか望みが遠くなって
年ばかり取っていって、欲ばかりが深くなって
僕がなりたい大人って、何だったんだろう
貴方にとって、”大人”ってなんですか?』
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再会の夜「なぜ踊るの?」と、アユムの問いに蘭は戸惑う。そこへ突然、どしゃぶりの雨。ハイスペの彼は意を決して彼女をとある場所へと連れてゆく。