大野は良く酒が進んでいるようだ。仲居達の動きや料理のタイミング、質も問題ない。宴会自体は成功したと言えるだろう。動揺はしたものの、鈴木はこちらに気づいていないようだ。
接待は滞りなく進み、会計の支払いは後日の後払い。何もかも完璧なスケジューリングだ。何事もなく送り出し、車までお見送りする。クラシックミニは大野の拘りらしく、デジタル化が進むこの時代に、敢えて手でしっかりと触ることができるスイッチが良いらしい。
実際に目に見えて、手で触れることができるものの確かさへの信頼は、私にもよく理解できたか
ら、その場で同意を表明した。ただ、もしもこの世が全て、そんなわかりやすさで出来ていたら、高級な料亭も、遊びのための花街も全て無くなっていただろうけど。
◆
「女将さん!無事終わってホッとしましたよぉ」
片付けが始めるや否や、新人の美雪が情けない声を上げる。無理もない。久美さんの手助けがあったとはいえ、初めての大きな現場であるにもかかわらず、流れを乱さずにしっかりとやり抜いた彼女は評価すべきだ。
「お疲れ様、美雪さん。片付けまでしっかりね」
「はい!」
料亭や割烹の世界は上下の世界だ。私が一人の新人に対して熱を入れすぎてはいけない。それ以上の賞賛は、久美さんがしてくれるだろう。
数人の仲居が協力して、皿や茶わんを運んでいく。それぞれが、それぞれのリズムで運んでいるはずなのに、なぜかカチャカチャと立てる音の拍子は綺麗に合っている。廊下を急ぐ音と、指示を出す声、皿のなる音、水道の水の音が全て混ざり、お客様がいたときよりも忙しそうだ。
客間を掃除していたとき、机を片付けていた久美さんがつぶやいた。
「何かしら、これ」
「どうしたの、久美さん?」
その手にはレシート大の紙が握られていた。二つに綺麗に折られており、咄嗟に捨てたようなものには見えなかった。
「中に何か書いてありますね」
大野の覚書だろうか。もしそうであれば、内容によってはすぐに返す必要がある。
「なんて書いてあるの?」
「ん~・・・。なんだろう、これ・・・」
紙を渡してもらって、中身を見る。その時の私の顔に、久美さんは気づいていただろうか。定かではないが、とにかく久美さんは紙を私に渡してから、布巾を持ってそそくさと客間を出ていった。