気付かない間に、傷つけていたのなら見過ごすことは出来なかった。
『アキラ』時代の自分を清算する為に、そして佐伯明人として生きていく為に、店からそんなに遠くない此処に新たな門出を決めたのだ。
「スイートピーなんかどうでしょうか?」
「え…?」
「スイートピーの花言葉は、門出。色鮮やかですし、十代の若い子には喜ばれると思います。」
女性客は躊躇しながら振り返り、苦心しながら足を止めてくれた。
「もし、よろしければ…アレンジメントさせてください。」
女性客は人通りはあるのに、それ相応のプレゼントを購入できそうな店が現実的にない事を改めて考え直したように、渋々店に帰ってくる。
さっきとは違って居心地が悪そうに、店内を見回る姿に後ろめたさを感じる。
レジ横に特設したアレンジ用のデスクに向かい、黄色をメインにしたスイートピーを手に取った。
「色にもそれぞれ花言葉があるんです。
でもこれだけ有名な花で色も沢山あるのに、スイートピーに花言葉がある色は、ピンクと白とこの黄色だけなんです。」
女性は少しだけ興味を引いてくれたように、こちらを見た。
「…黄色は、なんて意味なの?」
「判断力です」
何がそう思わせたのかは定かではないが、女性客を見ていたら自然とそんな気持ちになった。
佐伯は母子家庭だった。
こんな時間まで夜に働く母親を持つ12歳の娘。
父親は居ようがいまいが、関係ないだろうことは予想がついた。
そして、何処か頼りないこの母を支える少女なら、黄色のスイートピーが似合う気がした。
「お幾らですか?それ…」
少しくたびれているジェルネイルをしている指や財布を擦っている。
「これは、サービスにします。」
「…やめて下さい!ただより高い物はないですから!」
「じゃあ、また来てください。出来たら、家に小さくていいから花を飾ってください。」
どんな家に住んでいるのか解らないが、自分の中に浮かんできた映像は幼い頃の古びたアパートだった。
電気を止められた台所に体育座りをして、外から差し込む下品なネオンを眺めながらカップラーメンを啜る。
あんなみじめな事はないだろうが、そこに花が一輪でも飾ってあれば…。
もう少し、心が豊かになったかもしれない。
そんな願いを込めて贈る。
「解りました。有難うございます。お気持ちだけで良いです。
相場が解らないので、これで…」
テーブルに、ピン札の5000円を出された。
それは、今日の日払い金だろう。
佐伯はレジから、4000円を出して花と共に渡す。
「じゃあ、お釣りです。お名前は?」
「…え?…」
「あなたのお名前は?」
「…リナです…」
―また来てくれるとは限らなくても、この花がリナさんとリナさんの娘さんを照らす輝きになりますように―。
そう願いながら、見送る。
リナは、一度立ち止まり…
「い、妹ですから!娘じゃなくて、妹の誕生日ですから!」
「リナさん。今度は、妹さんと来てくださいね。」
リナは、コクリとお辞儀をして去っていった。
―喜んでくれたら、良いですね。―
花屋は、花の命を切り売りしている。
見送る先が、どんな場所なのか解らずに、ただ託して見送る道を選んだ。
それでも【ラナンキュラス】に近づく為に、この店を続けて行く…。
カスミソウの君が…僕に告げた言葉を胸に。
―高潔な青年ラナンキュラスに、純潔な永遠の愛を誓う。―
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フラワーショップ【ラナンキュラス】に店で配っているThanksカードを持った見慣れぬ客がやって来た。