会うのは、明後日。
大きなベランダに出て、夜景を見降ろしながら、月に向かって手を伸ばす。
「ネイルは…このままでいいかぁ。私が一番好きな色。」
相手に合わせて変えるのでない、自分らしさを飾るのも、たまには良いかもしれない…。
夜風が莉子の頬を撫でていった。
約束をしたのは、高級ホテルの一階にある、カフェテラス。
開放感があって、店員も内装も上品な場所。
ハイクラスなビジネスマンが、打ち合わせ等に利用する有名店だった。
莉子も勿論知ってはいたが、立ち入ったことはなかった。
どんな独立してビジネスをしていても、
どんなに高級マンションに住んでいても…
結局自分は、雌…なのだ。
男女の関係ありきの現実。
それを引け目に思ったことはない。
でも、こういう場所に呼ばれると、背筋が痛いくらいピンとした。
普段は滅多に着ない、高級ブランドのスーツを身にまとって、店内に入る。
着いたのは約束の15分前。
到着したので先に入っていますねと、SMSメールを送信したが直ぐに返信がきた。
「店内の奥のソファー席に座っているので来てください」と。
15センチヒールを、一歩ずつ前に進める。
ヒールで歩くレッスンを毎日している莉子の体幹はぶれていないはずなのに、何故か足が揺れる。
―一体、どうしたっていうのよ。私らしくもない!-
幼い頃は、内股で歩く癖があり「天然ぶりっこ」と野次られた事もある。
だからこそ、莉子は「悪女」である自分を怠ったことはない。
36歳になっても、衰えていないのではない。
吹聴しない努力を重ねているのだ。
―なのに…。怖い。こんなの、私じゃない…-
腰が引けた時、視野の奥で、足を組んだままiPadを操作している、昭人の姿が目に入った。
佇まいがスマートだ。
目の前に置かれているコーヒーは、ミルクも砂糖もなく、恐らくブラック。
しかも、もう飲み切っているようだから、いつから此処で待っていてくれたのか。
―ああ、嬉しい…-
その気持ちだけで、楽に腰が前進する。
身体にたたき込んだ癖が、心の困惑を制御してくれる。
昭人がこちらをチラッと見て、優しく笑って席を立った。
「急に呼び出したみたいで、ごめんね。」
決してうるさくない店内だが、上品なBGMさえもかき消して莉子の耳元に流れ込んでくる声。
動く唇。
許されるなら、すぐにでも飛びつきたい衝動を駆り立てる。
そんな莉子の内心を見透かしたように、席に促し左頬を引き上げた。
「どうぞ。」
「いえ、私が予約させてもらったのに、わざわざ、すみません。」
「気にしないでください。僕が二人でお話したかったので。」
その言葉で、莉子の意識はしっかりとできた。
『恋』という罠に流されてはいけない。
まだ、落とされてはいけない。
大学時代に小枝子が言っていた言葉が聞こえてくる。
『恋はするものではなく、落ちるものよ。』
だから、昭人に落とされたとしても、それはあくまでも、天然悪女から、真正悪女にヴァージョンアップした、莉子として。
『あなたも私に、落ちてきて!』という思考に変換された瞬間だった。
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