「今月限りで解約します」
P社を解約した。次の予定はある。M社に変更だ。この会社は東京の代官山に本社をおく会社で名古屋市にも支店を開いていた。
私は直接東京本社で説明会を聞き、代表とも話をして詳しい事情を説明し入会することにした。料金はP社の倍、入会を決めたのはM社の厳しいカウンセリング。
自分に何が足りないのか率直に話し、改善してほしかった。
前回▶10年婚活 Vol.4~またも行き詰る、でも打開策は…~
はじめから読む▶10年婚活 Vol.1~婚活の始まり。私のステータスなら楽に結婚できると思っていた~
「結婚相談所で実際に結婚できる人は全体の5%以下です」
M社の説明会でこれを聞いた時、私は驚かなかった。ここまで婚活を経験した者からして当然の数字だろうと思った。
まして初めに参加していた婚活パーティーなど0%に近いのではないか?正直に数字で答えてくれ、婚活の大変さを伝えてもらいそれに対してどのようにカウンセリングや訓練を行っていくのか説明してもらうことで少し自信が取り戻せた。
M社は以前の大手相談所と違い中小企業であり、中小の相談所が合同でデータベースを作っておりそのデータベースから紹介、申し込みをする仕組みだった。
会員は料金の高さと比例して医者、会社経営者、大学教授、弁護士などハイクラスの女性も多く登録していた。
確かこの会社はタレントや著名人にも対応していてその人達用のコースもあるらしい。カウンセリングも定期的に行われ、月一のペースで進み具合やデートの会話内容、場所、服装、エスコートの仕方まで細かい指導が行われた。
中年を迎えた男には直しようのない指導もありきついこともあったが、自分はここまでしないといけない男なのだと自覚していたので、素直に聞くことができた。
そんな中、父が心臓発作で倒れた。
中区の銀行で取引をした帰りに銀行の入り口で急に倒れ、救急車で病院に搬送された。手術は深夜までおよび、早朝に無事終了した。命はとりとめたが相変わらず母は、
「あんたが結婚しないからよ」
と強引なこじつけをしてきた。いい加減にしてくれと思った。意識をとりもどした父からも私へのはじめのことばは
「結婚してくれ~」
だった。そんなに結婚しないといけないのか?彼らの結婚の価値は?そんなこと聞いて具体的に話してくれる両親ではない。
「するからするんだ!」この一言だろう。
父は入院中も家族に心配をかけていながら亭主関白は改まることもなく、母はあまりの父の横暴な態度に病院から飛び出していったこともあった。それでも父の話はせず、原因は私の未婚であると泣き続けた。この婚圧は並みではない。
両親の過剰なプレッシャーの中、新しい相談所からのアドバイスは核心をついていた。
私は女性とのコミュニケーションがうまくとれないのだ。特に恋愛対象としての。そのくせ実は、理想が高い。「実は」というのは本人が自覚していないという意味だ。自分はそんなに高望みしていない男だと思っていた。しかし、していたのだ。自分にとって高望みなのだ。