入籍する時、私は45歳だった。
晩婚で失敗だらけだったが素晴らしい伴侶に巡り合えたと思う。
これ以上の伴侶は世界中探してもいないと信じている。
前回▶10年婚活 vol.9~もう一度「結婚してください」~
はじめから読む▶10年婚活 Vol.1~婚活の始まり。私のステータスなら楽に結婚できると思っていた~
多くの婚活者がうまくいかず結婚を諦めて終わる。人と比較してもしょうがないが私は最終的に結婚で締めくくれたことは、最高の結果だと思う。
私たちは初め、名古屋市中区のデザイナーズマンションで生活していたが、お互いの希望で家を買うことにした。
お互い平均以上の収入はあったので、家に予算をかけて芝庭付きの新築を名古屋市昭和区に買った。私もアメリカに住んでいたので広い空間の中、生活できるのは心地よい。加えてコロナウイルスの拡大とともにテレワークや巣ごもりが増え、これらには戸建住居が便利だ。
大きなソファーと広いキッチン、お互いの部屋があり、犬も私と妻の希望で保護犬活動をしている知人から中型犬を受け取った。
20年以上、自分中心の生活から妻と生活することに初めは窮屈を感じたが、月日が流れると当たり前になってくる。
独身の頃は好きに外出して、休日は自分のやりたいことをする生活がたまに懐かしくなる。日本は独身でも楽しいことがたくさんある。しかし楽しいことに注目すると婚期はますます遅れる。
私は同時に独身のさみしさも感じていた。友人と遊んだ後の帰り道、一人は孤独感満載だ。職場でも同年代の家族、子供の話に取り残されることがあり、これも孤独を感じる。
一度聞いたことがある。
結婚するか独身でいるかは、独身の「さみしさ」と結婚の「わずらわしさ」、このどちらかを覚悟して受け入れることができるかである、と。
私は「わずらわしさ」を受け入れることを選んだ。
どちらも受け入れることができなければ結婚も独身も幸せに暮らせないだろうと、父を見てそう思った。彼は独身の「さみしさ」に耐えられなかったが、家族がいるわずらわしさにも耐えられなかった。
そのうっぷんばらしの対象は母や私だった。
私の婚活がこれだけ長期になった理由の一つは家庭環境にあると強く感じている。なので正直、父の寿命に私の結婚式が間に合わなかったことは、今でも気にならない。
人のせいにするのはいけないと分かりながら、自分のコミュニケーション下手の原因は、父が家族へ行った仕打ちだと信じている。しかしそれは過去のことだと自分に言い聞かせるしかない。なぜなら人は進歩しなければならないからだ。過去に縛られて自分が不幸になってはならない。