NOVEL

踏み台の女 vol.9 ~ずれていく感覚~

「いやぁ、いいね、神尾君。君今まで一体名古屋のどこに隠れてたの。それに食べっぷりもいいし、今どきなかなか珍しい若者だね」

 

リサの夫の楽しそうな笑い声。

 

「神尾さん、よかったですね。うちの主人、人に厳しいからこんな風に誰かを手放しで褒めるなんて聞いたことないですよ」

「もしかして、ご主人からの誉め言葉はリサさんだけの特権でしたか」

 

リサも男二人の話の途中、いいところで合いの手を入れ、またそれを合図に一段と盛り上がる。

アユミはまるきり蚊帳の外だ。

それでも、せめて場の空気を乱さぬよう、曖昧に微笑みを浮かべて三人を見やる。

アユミ以外の三人は、まるでこの寿司屋で提供される寿司と同じだった。アユミと同じ人間であるのに、何か別次元の世界の住人であるように思え、同じ椅子に座り同じ寿司を食べているのに、一人きりの寒い部屋でカップの焼きそば麺を食べている時よりも、ずっと惨めな心地がした。

 

「じゃあ、次行くか」

 

リサの夫が手洗いから戻るなり、ジャケットを羽織ってそう言った。

支払いは、と神尾が尋ねると、「そんなのもう済ませたよ」と当たり前に言ってのける姿を、リサがうっとりと、そして誇らしげに眺めている。神尾が颯爽とお礼を言うので、アユミも慌てて頭を下げた。

 

「リサ、そんなつもりじゃなかったのに、ご馳走になっちゃて」

「いいの、いつものことだから」

「いつも?」

「そう、ご招待する時は彼が全部支払うの。私の友達も、もう何人もみんな同じようにご馳走になってるから気にしないで」

「そうなんだ……。ありがとう」

 

今のリサの口ぶりだと、リサの友人を招いて食事をすることはよくあるような言い方だが、アユミがリサの夫と食事をしたのは今日が初めてだ。

なんだか引っ掛かりを覚えたが、店外に出て夜風に当たると、アユミに多少の解放感を与えた。

 

「タクシー拾っていつものとこ行くぞ」

「え、そうなの? 四間道? アユミはどうする? 時間は大丈夫?」

「アユミちゃんも行くなら乗って。神尾は行くの決定してるから。な?」