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三村にプロポーズしてから結婚式まで半年がかかっていた。
今の時代、式場の予約は半年後、一年後になることが珍しくないそうで、大安を筆頭に式場の予約がどんどん埋まっていく。
俺たちは来月の結婚式を控えて、式場の打ち合わせが毎週続いているところだ。
決めることが多く大変なのだが三村は仕事のようにテキパキとこなしてくれている。
今日も夜に式場で打ち合わせがあるのだが昼間の仕事が全然進まず、いつも以上に残業となってしまった。なんとか待ち合わせ時間に間に合わせないといけない。
ずっとPCの画面を見続けていたから遠近感がおかしい。何か飲んで少しだけ続きをやってから帰るか。
席を立って休憩室へ向かう。
この場所から始まったのだった。ここで加澄さんに会わなければ今のような状況にはならなかったのかもしれない。
「…あ」
後ろから声がした。それは加澄さんだった。
1年半ぶり、いや、ちゃんと会わなくなってからもう2年くらい経つだろうか。
そのウッディな香水は変わっていない。
立ち去ろうとする彼女を呼び止める。いつもこうやって彼女を追ってばかりだった。
「…俺、聞きたいことがあるんです」
彼女が振り向いた。
「人事部長と婚約したことを何で言ってくれなかったんですか」
加澄さんはじっと俺を見た。
「…ちゃんと伝えられなくてごめんなさい」
はっきりとそう呟く。
「…それならはっきり言ってくれればよかったのに。避けたりしないで」
彼女は下を向いた。流れ落ちる髪の毛や伏せた目元や華奢な手首を感じた瞬間、はっきりとその感触を思い出してしまった。
衝動が抑えきれなくなりそうだ。
「あなたには感謝してるわ」
予想外の言葉だった。
「ごめんね…でもあなたのことが好きだったのも本当よ。たとえ2番目の存在だとしてもね」
加澄さんは目を逸らしてそう言った。俺はもう何を言ってよいのかわからなくなっていた。
加澄さんが少し微笑む。
「婚約したんですってね。おめでとう」
そんな言葉、加澄さんから聞きたくなかった。
立ち去ろうとする加澄さんの身体からふわっと香水を感じる。香りは様々な記憶を呼び起こさせた。その肌の質感までも。
俺は止められなかった。
加澄さんが逃げないように片手で身体を、もう片方の手でうなじを掴み、唇を塞ぐ。
無理矢理だった。
ここが会社の休憩室だということを忘れていた。
彼女のせいだ。
彼女はいつも俺を衝動的にさせる。
明らかに拒否しているのがわかる彼女を逃さないようにする。
その瞬間、人の気配を感じた。
「会社で何をしているんだ」
その言葉の主は人事部長だった。その腕にはまだ幼い女の子が抱かれていた。
Next:10月20日更新予定
次週最終回。加澄と再会してから一週間後、地方への異動をつげられた純は加澄の夫となった人事部長から呼び出され、ホテルのラウンジへと向かう。