もちろん昨日と服は違う。けれどその後ろ姿は確かに彼女だった。
「…お疲れ様です」
多少緊張しながらそう声をかけてすぐに振り向く。
さらっとしたストレートの髪が後ろに揺れた。
「お疲れ様です。残業している人、他にもいたのね」
きっちりと目を合わせてくる話し方。
甘いウッディな香り。
「はい…またフラットホワイトですか?」
既にマシンはこぽこぽと音を立てていた。
「ええ。おいしかったからまた飲みたくなって。昨日はありがとう」
「いや、良かったです。気に入っていただけて」
淹れ終わるまで何か話題を探したのだが特になく沈黙が流れる。
自己紹介でもした方が良いのだろうか。そんな風に考えあぐねていると彼女はカップを手に出ていこうとした。
横をふわりと通り過ぎる。
「それじゃ…きゃっ」
小さく悲鳴をあげる。
思わず振り向くと彼女は床に膝をついていた。ヒールが折れ、時間差でポタッという音が聞こえた。
バランスを崩し転ぶと同時にコーヒーをこぼしてしまったのだろう。
「大丈夫ですか?!火傷は?!っていうかシャツにコーヒーが…」
慌てて駆け寄る。
焦った俺の目を見て彼女は笑った。
「ありがとう。そんなに焦らなくても大丈夫よ」
下から俺を見上げる。
まただ。
じっとそらせない瞳。
「あ…すみません」
どうやら火傷はしていないようだ。ペーパータオルでシャツとスカートを軽く拭き、立ち上がる。
カップをうまく保ったようで床にこぼれたのは僅かだった。
その代わりに白いシャツにシミがついてしまっている。
「あの、シャツ大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、後は帰るだけだったし。電車ではちょっと目立っちゃうかもしれないけど」
その言葉を聞いて思わず言ってしまった。
「俺のでよければ、シャツ貸しますよ。…っていうか、送ります」
◆
先に駐車場へ向かい運転席で待つことにした。
夜勤以外はもう社内に残っている人はいなかったから怪しまれることはないのだろうが、やはり一緒にオフィスを出て車に乗るというのは気が引けた。
30半ばに差しかかってこんなことしているとは20代の頃は思ってもいなかった。