◆
30分後、俺はホテルのラウンジで向かい合っていた。
呼び出したのは加澄さんの夫となった人事部長だ。
無言のまま時間が経っていく。
部長は意を決したように言葉を発した。
「なぜ私が君を呼び出したのかわかるか?」
冷たい目線だ。
「…先日の休憩室のことでしたらすみません。迂闊な行為でした。反省してます」
謝るしかない。でもそれだけで異動なんて納得がいっていなかった。
「そうだね。迂闊な行為だよ。既婚者にあんな行為をするなんて」
「…はい」
何が言いたいのだろう。
「加澄と君が2年前に付き合っていたのは知っている。そのことは気にしていないつもりだった。何より、君が加澄と付き合ってくれたおかげで私たちが元の関係に戻れたのだしね」
俺の行動が部長の嫉妬心をあおったのをこの人も自覚しているのだ。
「でも最近許せない事実が判明してね。悪いけどそのことを君の降格と左遷の理由にさせてもらった。私は今本社の人事部ではないがまだ影響は与えられるんでね」
「…なんのことですか?」
加澄さんと付き合っていたが結局は部長が結婚したのだ。
それに元の関係に戻ってから俺は加澄さんと会うこともできていなかった。不貞関係なんて程遠い。
「先日会った私たちの娘、覚えているかい」
部長が手に抱えていた子だ。
「はい。お子さんができたことは知らなかったです」
正直に言う。
「あの子が産まれた時、私は本当にうれしくてね。離婚してから加澄との再婚までの時間もあっただろう。だからこそ本当に幸せだったんだ」
顔色一つ変えずに語る。それが一層恐い。
「でも最近気になることがあってね。娘は私にあまり似ていない」
何を言おうとしているのだ。
「娘は今2歳だ。君と加澄の関係があったことが少々気になってね。だから調べてもらったんだよ」
何を?
「検査の結果、あの子は私の子どもではなかった」
それでわかった。部長が言わんとしていることを。
目の前が真っ白になる。
「…2歳、なんですか」
確認する。その年齢だとぎりぎりまだ俺と加澄さんが…。
「許せなかったよ。離婚してやっとの思いで再婚して幸せだったのに私の子どもではなかった。最初は加澄のことも責めてしまった。でも彼女のせいでもない。私が彼女との再婚になかなか踏み切れず待たせてしまったせいでもある。きっと彼女も父親が誰か気づいていただろうし辛かっただろう。事実がこうなったからといって私たちの関係が変わるのではないし、あの子は大事な娘だ。そう思っていた時に君の話を聞いた」
まっすぐこちらの目を見てくる。
「君は結婚してこれから式を挙げるそうだね。もしかしたらこの先子どもに恵まれるかもしれない。そう思ったら許せなかった。私の娘に遺伝子を残しながら自分の子どもも作り、のうのうと幸せを掴んでいくなんて」
「…そんな、加澄さんが妊娠したことは知らなかったんです。それに部長を選んだのは加澄さん自身で俺はフラれただけですよ。そんなことで左遷だなんて…」
言い返すのに精いっぱいだった。
「自分の娘じゃないとわかったときのショックが君は理解できるか?」
なんて言えばいいのだろう。
「2年前、君は社内で二股をかけていた。そして加澄と連絡が取れなくなった時にマンションに押しかけたり頻繁にメッセージを送っていただろう。あれは私たちが婚約した後だ。明確に言えばそれらの行為もハラスメントと言える。そして先日の休憩室のことは紛れもないハラスメント行為だ。君はそれを否定することはできないだろう?」
間違っていない。
でもどうしてこうなったんだ?子どものことなんて知らなかったし、今さら言われても困るだけだ。