この西園寺の敷地にいる者たちは皆、知っている。
しかし、それを口にする者は誰一人として居ない。
珠子は、自然に交際に発展した相手が、願っていた「玉の輿」だったことに純粋に感謝していた。
珠子の指に煌々と光輝く婚約指輪の1Ctのダイヤと、オーダーメイドで作られた結婚指輪。
総額、何千万のお金が、この薄っぺらな見栄に投資されたのか。
芽衣からすれば、卒倒しそうな茶番でしかなかった。
29歳にもなる、遅咲きの新婦。
西園寺珠子。
哀れな女。
と、芽衣の瞳には映った。
『知らぬが仏かなぁ…』
可憐な白無垢に身を包み、満面の笑みを振りまき、丁寧にお辞儀して西園寺家へやってきた珠子は、意気揚々と胸を張って西園寺家の洋館に足を踏み入れた。
好いた男との、新たなる人生の始まりだと信じて…。
珠子の前に、芽衣が45度に腰を曲げ、挨拶をする。
「奥様。本日より、身の回りのお世話をいたします夏目芽衣と申します。
お困りごとがございましたら、何なりとお申し付けください」
珠子は至福の歓喜に震えた。
「ありがとう。芽衣ちゃんね…!」
「…夏目です。ただの使用人ですから」
芽衣は、珠子の厚塗りの化粧をチラリと視野に入れ、反吐が出そうな気分になった。
何度か芽衣が嗅いだことのある、癖の強い香水の匂いで鼻の奥がカラカラになり、息を止めた。
そんな芽衣の事など気にも留めず、珠子は満面の笑みで、真っ赤な唇をひっくり返して笑った。
「解ったわ、夏目さん。ところで、雄一郎さんは、どちらに?」
縦にも横にも広いエントランスに、珠子の声だけが響き渡った。
「旦那様は、ご不在です。」
芽衣は、抑揚のない声で返答した。
そして、珠子の表情を見ることなく、空気で伝ってくる動揺に、片頬を引き上げたのだった。
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西園寺家へのお輿入れ当日、愛する夫・雄一郎は不在で、珠子は執事の梶原からお披露目会の準備や、挨拶周りのスケジュールを事務的に言い渡される。その日の夜会で雄一郎は妻・珠子にある女を紹介する。