――本気にして来ちゃったよ! バッカじゃないのっ?
彼女だ。
化粧もして、髪色も変わったけれど。声と抑揚が、あの頃のままで。
冷や汗がドッと出る僕をじろじろ見ながら、「へぇ」と明るい声を上げる。
「御前崎くん、今、社長さんなんだってー? スゴイじゃーん。まぁ、昔からドリョクのヒトって感じだったもんねー」
もしかして、それは褒めているつもりなのだろうか。それとも、またバカにしているのか? 分からない。ひたすらに気持ちが悪い。
彼女が近くに寄ってくる。獲物を見る猫みたいな目をして、「ねぇねぇ」と甘ったれた声を上げる。
「どーせなら隣に座ろーよ。一緒のクラスだったよしみじゃん? あ、まさかわたしのこと忘れてないよね?」
白くて細い指が、こちらに伸びてくる。僕は思わず――。
「ごめんなさい」
打ち払いそうになった僕の腕をつかんだのは、槙さんの手だった。笑顔で、彼女に向かって話しかけている。
「今日は無理に、私が御前崎さんをお誘いしちゃったんです。御前崎さん、優しい方だから断れなかったみたいで――同窓生の方々の時間を邪魔しちゃってごめんなさい。でも私たち、別のお店へ向かっているところだったので。失礼します」
そう口早に言うと、槙さんはそのまま、ぐいぐいと僕の腕を引っ張って行った。僕はその間なにも言えず、ただ槙さんに導かれるがままに歩いて。歩いて、歩いて――気がつけば、店とは正反対の道を歩いていて。角を曲がったところで、槙さんはようやく止まった。
「すみません、勝手に」
こちらを見ずに、槙さんがぼそぼそと言う。
「でもあぁでもしないと、私そのうち、あの人のこと怒鳴りつけちゃいそうだったから」
「い、いえ……助かりました。すごく……」
ちらっと視線をやると、槙さんは「あっ」と声を上げ、慌てて手を放した。
「すみません、嫌……でしたよね」
「嫌なんて。槙さんこそ、無理させてしまって」
僕が言うと、槙さんは自分の手をまじまじと見つめてから、「いえ」と首を横に振った。
「あの人……ですよね、例の人」
「そうなんですけど……僕、そんなに顔に出てました? 大人げないなぁ……」
鈴木とかもいたし、ちょっと気まずいなと思って訊ねると、「そんなことないです」と槙さんはもう一度首を振った。
「御前崎さんは、笑顔のままでした。でも、ちょっと……空気が、変わった気がして」
ふっと沈黙が、その場に漂う。そう言えば、まだちゃんとお礼を言ってなかったと思い、口を開きかけたその時。
「お店から、離れちゃいましたね」
「あぁ……でも、普段そんな混まない店だから、予約とかしてるわけでもないので」
またにしましょうか、と言う前に。槙さんがじっと僕の顔を見つめてきた。
「槙さん……?」
「あの――良かったらこの後は、私に付き合っていただけませんか」
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隣人の槙に誘われるがままいつものコンビニへ向い、アルコールやつまみなどを購入し、槙の部屋で飲むことになった御前崎薫……。次回ファイナル、異性に恐怖心を持つ二人に待ち受ける未来とは?