覚えているのはそこまでだ。
ストックで顎を思いっきり打ち付け、そのまま脳震盪を起こしたのだった。
ここから先は後から聞いた話だ。
外れたスキー板は真っ直ぐ少女に向かったらしかった。
誰も、間に合わなかった。
「きゃーっ」女性の甲高い叫び声があがる。
真っ白な雪原に不釣り合いな深紅のバラが散らばった。
「っ!!」沙耶香がいち早く傍に駆け寄る。
瑞穂は既に携帯を取り出しレスキューにコールしていた。
沙耶香は少女の首元を被っていた帽子でぎゅっと押さえつけた。
静音の足を外れたスキー板のエッジが少女の首を切り裂いていた。
止血できればよいが、出血は止まる気配がない。
見ている間に少女の顔からは血の気が引いていく。
「しっかりして!」沙耶香は必死で声をかけ続ける。
瑞穂は意識をなくしている静音を抱き起こして仰向けた。
顔は真っ青だが呼吸は出来ている。
その間にも赤い花のような血だまりが白い雪に広がっていく。
「優香ぁっ!!!」
父親らしい男性が駆け寄ってくる。
少し離れたところに幼稚園くらいの男の子を抱えて立ち尽くす女性。
恐らく母親だろう。
確か2つ後ろのゴンドラに乗っていた親子だ。
カフェテリアでの楽しそうな女の子の笑い声が耳に残っている。
どうやら先に滑ってきて、この場所で家族を待っていたらしい。
周囲に人だかりができてくる。
レスキューが着くまでの数分間が何時間にも感じられた。
- 失ったもの
まる5日間。
静音の意識は戻らなかった。
その間に骨折した脚の手術と、砕けた顎の処置が行われた。
名古屋から駆けつけた父に年配の医師が状況を告げる。
命に別状はないが後遺症の有無は分からないということだった。
6日目の朝、静音は目を覚ました。
「女の子は?」
最初の言葉がそれだった。
気を失う前の大きな瞳が脳裏に焼き付いていた。
医師も看護師もそれには答えず、安静にというばかり。
事実を告げたのは病室に戻ってきた父だった。
「・・亡くなったよ」