「どいてあげなよ!先輩通れないって!」
チラッと玲子に視線を向け身体を捩(よじ)り荷物をどけてはくれたが、あちこちから伸びるヘアアイロンのコードを跨(また)ぐようにしか中には入れなかった。
「リナ先輩。今日も、その服なんですね?」
レイラは鏡に映った自分から視線を外そうともせずに、声を掛けてくる。
店には貸衣裳もあるが、玲子は入店の時にママからもらったセットアップのラウンジスーツを好んで着用している。
玲子が持っているラウンジ用の服は少ないが、勤務したばかりならいざ知らず1年もたって貸衣装を着る気にはなれないし、何よりこのスーツが好きだった。
30歳の時に離婚して、行く当てもなく実家に戻ったものの既に第二の人生を謳歌していた母親には煙たがられた。
『30にもなって…自分の招いた事へのケリは自分でつけなさい!』
裕也を生んだばかりの娘に母はそう言い放った。
『奈緒は、お父さんの所にやってもいいんじゃないの?』
そう言われた事をきっかけに、玲子は実家を出て小さなアパートを借りた。
学生から専業主婦になった玲子にとって、働きながら2人の子供を育てるのはまさに苦難だった。
履歴書を書こうとして、初めて自分が犯したミスに気付く世間知らず。
玲子はアルバイトさえしたことがない。
書ける職歴のない、30歳の女。
無論、正社員になることもできず途方に暮れていた時に、夜の店で働く事を決めたが、年齢を告げるとやんわりと断られる日々が続いた。
そんな時に、ママと出会ったのだ。
何とか面接してもらえる事になり足を運んだ店には、先客がいた。
それが【RedROSE】のしょーこママだった。
その店のオーナーとは馴染みらしく、カウンターに座って開店準備をしているボーイと談笑していたが、その背中から漂うオーラは、モデルだろうか?と思わせる程だった。
女の玲子さえ、その色香に落ちそうで、釘付けになった。
面接を担当した店の主任が「経験なしの30歳ねぇ…」とぼやいた時、ママがこちらに視線を送った。
背中と横顔しか見えなかった、その美女の顔が見られただけでも良かった。
すっかり疲れ切っていた玲子は「帰ってください」と言われる前に、自ら退くようにカバンを手にした時に、思いもよらない言葉を掛けられた。
「主任。その子、うちに貰ってもいいかしら?」
面食らったように固まる主任。
玲子も上げかけた腰をそのままに、美女の顔を見つめる事しかできなかった。