モデルという業界でも順応できず、華やかな世界にはもう戻れないくらい黒く染められた自分を救ってくれたのは、風に揺れる花だった。
その始まりがあるとするなら、それは僕のベッドで寝息を立てている彼女だろう。
煙草を消すとベランダに置いてある携帯灰皿に入れ、そのままシャワーを浴びた。
水が滴る髪の毛を拭かないまま、バスタオルを巻いてまだ寝息を立てる夏蓮のもとへ行く。
髪の裾に隠れる様に輝くオレンジ色にそっと指を通すと、少し微笑んだように見えた。
彼女自身、まだ何も知らない無垢で恵まれた環境にいる。
自分の魅力を最大限に維持するために、洗練された大人の女性でいると思う。
実際、彼女の肉体は魅力的で素晴らしいものだった。
そして、愛される本人もそれを良しとしている。
僕が人生の受け皿の役割で生かされているのであれば、この先、彼女にできることとは何だろう?
不意に涙が込み上げてくる、涙など小学校のあの森で置いてきたはずだったのに。
ずっと彼女に持ち続けていた感情とはなんだろう?
憎しみ、嫉妬、寂しさ。
「私が守ってあげるよ」
その言葉を聞いた時、とても嬉しかった。
あの瞬間に、はじめて「受け皿」になった気がする。
貴女は僕の初恋だったんだ、と。
溢れる涙を拭いながら、憎むよりずっと彼女が好きなんだって、抱いた後で幸せそうな寝顔が朝日に照らされる姿を見て、僕はやっと気づいた。
◆
「夏蓮、オーストリア支社への完全異動が決まった。結婚したらすぐ行く」
数日後、健太郎に呼び出されそう言われた私は動揺が顔に出てしまった。
「聞いてる?」
「あっ、うん…」
ノアに抱かれて、すっかり私は彼の虜になってしまった。
またすぐにでも会いたい、結婚なんて放り出したいと健太郎に破棄の相談をしに来た矢先だった。
しかしその後、彼は花屋から姿を消して連絡もつかなくなってしまった。
優しく激しく抱いてくれたのがまるで嘘だったみたいに、幻みたいにいなくなってしまった。
健太郎の浮気は予想がついていたことだし、私もいつかするだろうとぼんやりと考えていた。
とても最低な考えだが、結婚は恋愛とは違うものだと思っていた。
だから妥協せず婚活パーティにも足を運んでいたのだ、利害が一致してこそだと思っていたのだ。
だけど蓮城ノアが現れたことで、私の安易な思惑など壊されてボロボロになった。
心が彼でいっぱいになった。彼が心を奪った人などきっと私だけではないことは分かっている。でも好きなのだ、きっと愛している。
久々に健太郎に抱かれても、楽しくも感じもしない。
彼にどうした?なんて目を配られてもどうしても乗り気になれない。
事を終えて目の前で寝息を立てているこの人を、私はずっと愛し続けられるかな?
そっと胸板に、指先を添わせてみる。
ああ、一緒にいると同じような人種だからきっと安心感はあるんだ。
私は洋服を手早く着ると
”少し結婚について考えたい 夏蓮”
そう部屋のメモに書き残し静かに扉を閉めた。