「ここはノアくんのお店なの?」
「...いや、僕は縁あってここで修行中。本当のオーナーはいるよ」
はい、できた。とオレンジ色の薔薇とピンク色のダリアを散りばめた花束を受け取る。
お金を払う。
「綺麗...ノアくん、センスあるね」
「ありがとう、喜んでもらえると嬉しい」
本当だとこれでおしまい、でも、どうしてもその指を繋ぎ止めたくて。
「ノアくん、今日ってお店終わった後、夕飯でも食べに行かない?」
どことなく真剣な声になった私の声色にどうか気づかないで。
気づいても、どうか気づかないふりをしてほしい。
彼は少し考えて、壁に掛かった時計を見る。
「夜になっても、いいのなら」
◆
「覚えてる?蓮の花のこと」
不意にそんな話題を振られたものだから、私は口にしていたズッキーニを喉に詰まらせそうになった。
深夜まで営業している栄のレストランに入って、個室へ通された私たち。
小さな窓には真っ白な襖が立てかけられ、天井からは小さな蓮の花の折り紙が連なり吊るされていた。
「かなり昔のこと覚えているのね」
「だって、あの時の蓮が僕を助けてくれたんだよ」
綺麗に魚を切り分けると、フォークで口に運ぶノアくん。
「僕、すごく学校で嫌われてたから」
それからゆっくりと私たちはワインを開け、少し苦かった小学校時代の話をしはじめた。
私たちが通っていた私立学院はエスカレーター式の閉鎖された空間だった。
新しい風が吹くこともなく、見知った変わらない面子のなかに転入してきたノアくんは、ラピスラズリの原石みたいに光って見えた。
彼を独占したかった、美しい彼を。だから孤立してもすぐ庇わなかった。
学校の裏庭で隠れるように泥だらけの彼が泣きじゃくっているのを見て、私は声を掛けた。
転校してきた時から気づいていた、同じ”蓮”の文字を持っている人間として。
夏蓮の一言がありその後は揶揄(からか)われることも少なくなったとどこか感慨深げにノアくんは呟いた。
『私が守ってあげるよ。一緒にいたらきっと怖くないよ』
記憶の中の幼い私が、笑顔でそう言っている。
その後、両親の仕事で英国へ行くことになり私たちの関係はぷっつり途絶えてしまった。
仕舞い込んだ想いも、蓮の花も、彼の心もまるでなかったかのように。時を止めたかのように。でも私の腕に絡まるカルティエの時計の針は時を刻んでいる。
「英国に行った後は?ノアくんはどうしてたの?」
それを聞いた時だ、静かに私たちの間に風がつっと流れるような気がした。
ノアくんは優しく微笑むと、軽く瞳を閉じた。
「長い話だよ、それに面白くなくて暗い話。聞かないほうがいいよ」
さぁと彼はワインボトルを取ると、私にそっと翳(かざ)す。
「久々の再会だよ、飲もう」
私はグラスを手に少し複雑な思いで、目の前にいる唯一の幼馴染を見つめ笑った。