目前に広がったのは色とりどりの大きな花束、それを手に持つのは背が高くすらりと伸びた長い足に清潔感のある黒い靴。花束で素顔は見えない。
「お待たせいたしました、花屋のLupinです。ご注文のお花をお届けに上がりました」
涼やかで落ち着いた声に思わず心音がドキリと上がる。
ちょうど入り口にいたのは私だけだったので
「ありがとうございます、どなた宛ですか?」
と尋ねると、花束を私に手渡す細い指。
「久原祈里様宛です、こちらにサインをいただけますか?」
「分かりました」
するとそれを聞きつけたのか、耳に明るい声が飛んできた。
「あっ!花束来たのね!夏蓮、持ってきてくれる〜?」
中から婚約者と共に笑顔を浮かべながら、私を手招きする友人。
私は分かったわと微笑む、そして改めてペンを持つとサインをした。
はい、とペンを返した時、袋から花束を取り出す花屋の顔が初めて見える。
澄んだ茶色の瞳、栗色の髪の毛、素顔を丸眼鏡で隠しているが、とっても綺麗な顔。
「もしかして...ノアくん?」
「かれん...ちゃん?」
互いに声を上げる。
あの深淵の森の秘密、初恋の人ノアくんだった。
「えっ?日本に戻ってきていたの?」
「久しぶりだね、高校の時に戻ってきたんだ」
「わーっ!知らなかった」
夏蓮、知り合い?なんて中から人がやってきそうだったから、私は内心焦りながら彼に“ごめんね”と目配せすると、分かったと言わんばかりに目を伏せさっと店を去っていった。
「わあっ!すごく綺麗な花束!ねえ!写真撮ってよ!」
見事な花束で会場が湧く頃、私は花束と共に置かれた花屋の名刺を手にしていた。
覚王山にある小さな花屋「Lupin」と黒い台紙にシンプルな白字で書かれてあった。
「おっ、夏蓮」
名刺をじっと見つめる私に声を掛けてきたのは、同じ大学のサークルだった平松健太郎だ。今は大企業の商社マンだと風の噂で聞いた。
「あっ、久しぶり〜」
「信五の結婚式以来?すっげぇ綺麗になってるじゃん」
大学の頃は凄くモテて、いつも女の子が側にいて長い茶髪でイケイケだったイメージが強かった健太郎。名前負けしているって笑っていたけど、今は短い黒髪にタケオキクチのジャケットでより清潔感が増している。
いつしか胸元にしまった「Lupin」の名刺は、ゆっくり記憶から消えて行こうとしていた。
「もう少ししたら、抜け出してバーで飲まない?」
耳打ちする健太郎の言葉は甘い。私はいいよと微笑むと真っ赤なワインを飲み干した。
◆
健太郎はすっかりチャラさが抜けて、いい男になっていた。
顔だけはいいって言われるんだと酒を傾けながら笑っていたけど、会社では若手の中でもエリートコースに乗った一人だと聞いた。今回のパーティでも彼狙いの子もいたらしい。