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週末まであと一日。
私は花屋のシフトを終えたノアさんと待ち合わせして、祖父母が暮らす実家から車で十分ほどの場所にある家を訪ねていた。
あらかじめ「恋人を連れていく」と祖父には告げていた。
娘を持て余し、跡取り息子に愛情を注ぎ込んだ両親を知っている祖父母。
私のことは幼い頃からよく目をかけてくれた。今回の縁談も一言物申してくれたのは祖母だったが、婿養子の父には何も響かなかったようだ。
「茉莉花、いらっしゃい。あら、そちらの方が…」
小柄だが西陣の夏着物をさらりと着込み、出迎えてくれた祖母の目尻の皺が深くなった。
彼氏をこっそり連れてきたのは初めてではなかったが、今までで一番嬉しそうな顔をしていた。
「はじめまして、蓮城ノアです」
隣に立つ夏用のスーツを着込んだノアさんは、そっと彼がセレクトした花束を祖母に手渡した。
まぁと目を輝かせ受け取る姿は少女のようだった。
お手伝いさんがどうぞと置いたスリッパに私たちは履き替えると、応接間に通された。
相変わらず家は古いが毎日ぴかぴかに磨かれているおかげか、清潔感があって埃ひとつなかった。すっと襖を開くとソファーに座っている祖父が見えた。
祖父はお洒落な人で、良いものをずっと大切に使い続ける人だった。
今日もダックスのツイードジャケットを羽織って、白髪を綺麗に撫で付け小綺麗にしていた。今は会社の第一線を退いたとはいえ、経営者であることは変わらない。
キラリとのぞく腕時計は、長年愛用しているバテック・フィリップのカラトラバだ。
「話は孫から聞いているよ、よくいらっしゃった。座りたまえ」
祖父はそっと手を伸ばし私たちをソファーへ導く。彼は失礼しますと告げるとすっと座る。私も隣に腰掛けた。
「お爺さま、こちらの方がお伝えした蓮城さんです」
「聡明そうな若者だ、蓮城くん、今年いくつになる?」
「28になります」
ノアさんは祖父の言葉に動揺することなく言葉を返していた。
「そうか、まだ若いな。孫を頼む」
祖父は言葉少ない人なのでそれだけ告げると、手持ちのパイプに火をつけ煙を楽しむ。
彼にも進めたが、煙草を飲まないので静かに断った。
「暑い中、よくいらっしゃいました。宜しければどうぞ」
何も知らない祖父母は私たちの”挨拶”を素直に喜んでくれて、よく冷えた真っ赤な西瓜を出してくれた。
その時、携帯電話の震える音が聞こえた。どうやらノアさんらしい。
職場からの電話らしく、祖父母に了承を得ると席を少しだけ立った。
私は言葉少なに、糖度の高い西瓜をスプーンで掬って口に運びながらお見合いをやめたいということを告げた。
祖母はそうよね、と同調したが、祖父はそうか、とだけ告げ再びパイプに口をつける。
「茉莉花、これだけは覚えていなさい」
祖父の低い声が聞こえる。
「どんなに望んでも叶えられないことはある」
胸に突き刺さる。
「でも、それを打ち壊せるのはお前しかいない」
それってどういう事?と聞こうと思ったけれど、ノアさんが戻ってきたことでそこで話が途切れてしまった。