◆
初冬、名古屋。
平松家と佐々木家の結婚式当日。
邸宅を貸切り、幻想的なウェディングができるというセレブ御用達の会場だ。
あれからノアとは連絡を取っていない。
健太郎は正直に彼に会いにいったことを告げ素直に頭を下げてきた。
正直、会うまではとても怖かったそうだ。もし夏蓮をよこせと迫られたらどうしようかと。
そしてずっと隠していた異母姉妹となる今は離れて暮らす義妹さんも紹介してくれた。
その思いと、共に。
私はノアの名前を出され大きく動揺し、涙を流して彼を酷く責めた。
全ては私が招いたこと、私が誘惑したことなのだと。ノアに酷いことを言わないでと。
しかし横浜で彼と二人きりで話をして“目”を見て、自分と何も変わらぬ欲を持った男だと知り妙に安心したそうだ。
無茶苦茶だ、彼は今何処にいるの?と聞いても、知らないとしか答えてくれない。
もう結婚なんて止めると叫ぼうとしたけど、どうしても言えなかった。
既に私たちは同じ秘密を持っている。私も健太郎もお互いのことを愛してはいる。
本当に愛しい人は他にいて、決して手の届かないところにある。その鎖で互いをがんじがらめにして、それでも「愛」していくと決めたのだ。
明確に見える、明日のために。
だから私は、決意して今日ここにきた。
衣装を着る前に式場に足を運ぶ。新婦は準備のため早朝に会場入りした。
まだ誰もいないチャペル、すると誰かが会場の花をセッティングしていた。
「...ノア」
振り向いた彼は秋に会った彼で、ありのままの素朴な姿を見せていた。
「会いたかっ...た」
思わず駆け寄りそうになるが、足を止めた。
それを見て静かに微笑む。
「今日はLupinの代表としてこの式場のフラワーコーディネイトさせてもらったんだ」
震える左手でそっと胸で押さえる。
「そう…」
会場を飾るのは様々な色の薔薇、そしてかすみ草、全ては純潔や愛を語るものばかり。
「夏蓮、僕と逃げる?」
ふっと近くから聞こえた声に、はっと見上げる。
「今なら、逃げられるよ」
眼鏡越しに見つめる目は少し寂しげだ。
思わず唇を噛みしめる。つい先日、美容院で入れたばかりのイヤリングカラーが揺れる。
「いじわる」
思わず俯いた。セルジオロッシのつま先をじっと見つめる。
「そんなこと...できるわけないじゃない、これもずっと考えていたの?」
私はずっと心に秘めていた言葉をぶつけた。
「これが貴方の”復讐”だったの?」
答えの代わりにふっと鼻腔に懐かしい香りが流れる。
目の前には式で使われるブーケを手に持つ彼の姿が見えた。
「君がいつか教えてくれた、僕たちを繋ぐ蓮の花。良かったら持っていって欲しい」
そっと手渡すと私の横を静かに通り過ぎてゆき、式場のドアが静かに閉まった。
真っ白な薔薇の真ん中には、凛とした一本の蓮の花が映えている。
ずっとこの日のために、彼が冷凍保存していた夏しか咲かない儚い花を手渡され、そっと香りを嗅ぐと、彼と初めて出会った日のあの森を思い出す。
憧れで人生は共に生きられない。透明な恋だけをあの人は私から奪っていった。