横浜の夜景を一望できる海沿いの遊歩道。遠くから結婚式を挙げたのか鐘の音が響き渡っている。
ざらついた海風が、身体を心底冷やしてくる。波の音だけ響き、僕たちは終始無言だった。
前回:ルピナス―芽吹く街角で 第二章 vol.4~遂に語られる謎のハイスペ花屋男子の過去。朝焼け、彼の寝床で眠る彼女を見て静かに涙する理由とは...?~
はじめから読む:ルピナス―芽吹く街角で 第一章 vol.1~世間知らずの令嬢インフルエンサー、500万フォロワー女子の悩みとは?~
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「煙草、いいですか?」
僕は言葉を掛けると、彼は俺も一本もらえる?と手を差し出した。
ポケットから少しヨレたアメスピを出すと、先に彼に進めた。
すっと一本抜き取る、そして僕も袋を振り口に挟んだ。持っていたZIPPOで火を灯そうとすると、炎の向こうでふっと手が動いた気がした。
「どうぞ」
立ち上がる一筋の炎が、僕らの煙草をそれぞれゆっくりと灯して静かに消えた。
「やっぱきつ...煙草なんて数年ぶりだ」
口についたヤニを拭いつつ平松が呟いた。そうですか、と言葉を返し大きく煙を吐き出した。
「単刀直入に言う」
とんと煙草の灰を落とす。
「夏蓮と別れてくれ」
「全部知っていたって顔ですね」
僕はため息を吐きながら、そう答えた。
「せっかく決めた結婚を無駄にしたくない。俺たちにとってこの選択は最善だって思うんだ。経済的にも将来的にも」
「彼女は貴方の恋人のことは知っているんですか?」
あの夜、ドレスの女を見つめる瞳は本物だった。恐らく本命と呼ぶのであれば、彼にとってあの女こそが”愛”なのだろう。
「彼女とは結婚できない...異母兄弟なんだ」
平松の顔が少しだけ悲しげに歪んだ。
「だから夏蓮を選んだ。彼女はハイスペックな男性と結婚したい美人。俺は共に生きられる自慢の伴侶。利害は一致して何の障害もないと思っていた」
その時、少しだけ彼に同情した。彼も修羅の道を自ら選んだ一人だったのだと。
「だが、君が現れた」
亜由美さんと仕事の知り合いだったこともあり、僕の素性などすぐ暴き出せたそうだ。
「君は夏蓮を幸せにはできない」
「貴方ならできると?」
「総合的に考えて、それが最善なんだ」
「彼女の気持ちは?」
すると平松は初めてふっと笑った、少し残酷に口を歪め。
「時と共に人の心は変わる。君さえ消えてくれればあとは忘れるだろう。俺といることが、一番の安泰なんだ。たとえそれが夏蓮にとって愛ではなくても」
残酷で、身勝手。
彼の恋心から、時は何も解決などしないことは分かっている。だがそれはお互い様だった。このまま夏蓮と結婚して共に生きるかと問われれば、その未来は彼に比べたら、遠いものだった。
「思い出なんて過ぎたことだ」
「その怖さが分かっていたから、僕の前に貴方は現れたんでしょう?」
睨み返すかと思いきや、彼は大声で笑い出した。甲高く、そして美味そうに煙草を吸う。
「さようなら、蓮城ノアくん」
平松は煙草を踏み潰すと、車に乗り去っていった。
君は負け組なんだ、足掻いても無駄だ。逃げ場など何処にもない。
そう、言い捨てられた気になった。
彼は欲しいもの全てを手に入れるつもりなんだろう。
なら、せめて心はまず繋ぎ止めておくべきだった。
携帯電話を取り出し、LINEでこう亜由美さんに返信した。
”さようなら、もうお会いする機会もないでしょう”