彼の朗読が終わる。私はまた汗だくではあはあと息を吐きながら今まで感じたことがない充実感を味わっていた。
「まさか俺の詩をこんなに理解して踊ってくれる人がいるなんてね」
はじめて驚いた声を上げる男性。
「私も。とっても踊ってて何だか不思議なの、笑わないでね」
「笑わないよ」
「何だか、真夜中の空気に慣れた気がして。とっても心地よくてあったかかった」
「笑わないでね、俺もだ」
ふふっと二人で微笑む。
それから男性は近くの自動販売機で水を2本買ってきてくれ、ベンチに座り少しだけ話をした。
彼の名前は山茶花(さざんか)アユム、自称詩人。いくつか自主出版や詩集を出しているらしい。年齢は30代半ば。
でも、どこか面影は年齢よりも幼くておぼつかなくて、少し危うい感じ。
私も改めて自己紹介した。
「私は章魚 蘭(あやな らん)23歳、ダンサー目指してるけど、今は訳あって宿無しの靴なし」
へらっと笑ってみせる。でもあまりに真剣な瞳で山茶花が話を聞いてくれるものだから、つい先程の一件も話してしまった。スパダリ男子の家で同棲しているつもりだったけど、所詮私はセフレで靴を投げつけて逃げてきたって。悔しかったけど、本命の彼女には余裕もお金もあって、Jimmy Chooのヒールを綺麗に履く女に勝てる訳、ないって。
「ってことで、良かったら山茶花さんの家にお持ち帰りしてもいいんだよ」
いつものことだ、家には戻れないし帰りたくない。それなら、誰でも良かった。
『なんでお前はもっと自分を大切にしないんだ!お前の恥は家の恥だ!』
父の怒鳴り声、母の鳴き声。耳鳴りみたいに離れない。
「ね、どう?」
思わず彼の大きな手に触れようとした瞬間
「あ、俺、芋けんぴ持ってるんだ、食べる?」
え?と思わず声を上げた。でも実際、私はめちゃくちゃお腹が減っていた。
にこっと微笑むと山茶花は黒いリュックの中からけんぴの袋を取り出し、ばりんと封を開いた。
「はい、食べなよ、ここのほんと美味いよ」
はあ、と私は思わず摘んでぽりぽりと食べる、うん、美味しい。
「…美味しい」
芋けんぴなんていつぐらいぶりに食べただろう、そう考えている時に
「ごめんね、助けてあげたいのは山々だけど、俺も宿無し」
穏やかな声でそんなことを言うものだから、思わず芋けんぴを喉に詰まらせた。
「えーっ!うそーっ!」
シックな身なり、髪の毛はくしゃくしゃだが清潔な外見、背も高い、肌は青白くてちょっと吸血鬼みたいだけど話す口調や雰囲気からとてもホームレスには見えない。
でも、宿無しなら仕方ない。
「わかった、とりあえず芋けんぴ食べよっか」
私たちは朝焼けが見える頃まで、黙って芋けんぴと水で腹を満たした。
別れ際、連絡先でも交換しようとスマホを取り出した私に山茶花は
「ごめん、俺携帯持ってない」
令和のこの時代に携帯持っていないってどこの人?なんて目を丸くしていると
「俺の大体の現在地、夜中のここだから。また会いたくなったら来て」
と言うと、コートをひらっと翻し、そのまま公園を後にしていった。
私も何か妙に気が抜けて、ふああと大あくびをして大きく背伸び。
今日もこれからコンテストやオーディションに向けたダンスレッスンが立て続けにある。
◆
アユムと蘭は気づいていない。
互いに訳ありのインソムニア(不眠症)でありながら、こんなに心穏やかな夜を久々に過ごせたことを。
その理由を知るのは、もう少し先のことであった。
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Insomnia Memories vol.3
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