NOVEL

きっとこの先は。vol.2~予測通りの言葉~

宴会は粛々と進められた。芸者が踊り、酒が運ばれる。

「岐阜芸妓おどり」は昭和40年代に一度途絶えるも、平成に入ってから振興会が設立されて復活した、岐阜花街に伝わる伝統的な芸能だ。着物を着た女性が、三味線や鼓に合わせてゆっくりと舞う。全国の遊郭の歴史を語るためには欠かせない、昭和4年発行の「全国花街めぐり」にも名を連ねる岐阜花街の伝統だ。

 

鈴木と出会ったのは、私がそんな岐阜芸妓おどりに魅せられ、芸妓を学び始めた頃合いだった。私は大学に通いながら芸妓を学び、鈴木は同じ大学に通う一つ学年が上の先輩だった。私は文学部で、鈴木は理工学部。全くもって接点はなかった。彼が大学で演っていたバンド演奏が、いやに私に響いたのだ。当時の私は世間を知った気でいたただの学生だったから、彼のニヒルなところに不運ながらも惹かれてしまったのかもしれない。

 

お互いに芸能に惹かれるもの同士、話は合った。現代の芸能がどうの、邦楽がどうのと、少しの知識を入れただけで神にでもなったかのような口ぶりで、得意げに話し合った。

次第に仲は深まり、交際が始まった。

 

「なぜ君は、芸妓が好きなの?」

「だって、綺麗じゃない。それに」

「それに?」

「・・・ううん。恥ずかしいから言わない」

 

この踊りは、100年近く前から踊られている。その歴史や、100年前に同じように踊っていた芸妓に自身を重ねることができる儀式は、20年生きているにもかかわらず、未だまるでちっぽけな自分自身が幾分か大きなものになれたような気がして心地が良かったのだ。

大学では恋人もでき、さらに芸の道にも身を投じることで、自身の高い自己顕示欲を満たすには十分であった。

 

鈴木と付き合うようになってから数年が経っていた。鈴木とは婚約の話もしつつ、私が芸の道を進む中、鈴木は自身の道を探しあぐねていたように思う。就職活動するも行きたくもない企業におべんちゃらを使うこともできず、かと言って、生涯を通じて身を投じたいと思えるような職業もない。私はすでに強く自身の道を確信している自分が誇らしくも感じ、それに対して迷っている鈴木の相談に揚々と乗る始末だった。大人になった今から見て、ようやくその態度に恥を感じているようでは私もまだまだなのだろう。だが、大学生の私がそれに気づくのは、全てが終わっていたさらにその後だった。

 

やっと鈴木に内定が出た報告をもらったある日から、鈴木からの連絡がパタリとなくなった。最初はよくある気まぐれだと思っていたが、いつまで経っても連絡が来ることはなかった。何度か、私からも連絡をしたが、返事はなかったように思う。