それじゃ準備してきますね、そう言って小柳君は料理場へ戻っていった。その爽やかな姿を見送った後に、仲居の子達を集めて今日の準備を説明していく。
今日のような大事な日は、自分の役割をきちんと自覚して動かなくてはいけない。かといって、突出して仕事をこなすことができる一人が居るだけでもいけない。全体が川の流れのように、淀みなく動く必要がある。だから私は、常に全体を見渡し、流れを遮る可能性を見つけたら、それを適切な場所に配置していく。料亭で働く全ての人の個性や得手不得手を把握し、碁盤を埋めていくように、丁寧に配置をしていく。
もし、淀みが生まれたのであれば、それは現場の子の責任ではなく、適切に仕事を任せてあげられなかった自分の責任だと思うようにしている。そこまで仕事に拘ることができて、初めて女将としてのスタートラインに立てるのだ。
私たちのお店を選んでくださったお客様は、私たちを選んでくださった理由があるはずだ。その理由に、私たちは真摯に向き合わなければいけないのだ。
今日の流れを説明しきって、全体を見渡す。不安な顔、すこし余裕の見える顔、様々な顔が見える。不安そうな顔の横には、ちゃんとそれを補ってくれるような人を配置した。今日も上手くいく、そんな確信を胸に得て、お店の準備に取り掛かった。
◆
お店の中の準備が滞りなく進んでいるかを確かめるために、各部門を確認しているときだった。客間から、何やら声が聞こえてきた。
「久美さん、ここの配置終わりました!」
「はいよー。それじゃぁ、次こっちお願いね」
「はーい!」
新人として齷齪(あくせく)と働く美雪と、その先輩としてサポートする久美は、客間の準備を行っているようだ。美雪は数週間前に入ってきたばかりで、一通りの仕事を教えてもらい、今日は初めて大きな場面を任せてもらえる。
「終わりました!・・・ねぇ、久美さん」
「どうしたの?」
新人らしい活発な勢いのまま、美雪は久美に素直な疑問を投げかけた。
「女将さんって、若いですよね。30歳くらいでしたっけ・・・?」
「そうねぇ。若いのに女将やってんだから、凄いわよね」
「彼氏さんとか、いないのかな?」
「・・・それ、女将さんに聞いちゃだめだからね」
「・・・え」
「なんでも、昔いろいろあったみたいで・・・」
「美雪さん、久美さん、客間の準備終わりましたか?」
「女将さん!」
流石に仕事に支障が出そうだと判断し、会話を止めに入った。もちろん、それ以外の理由もあるが。
「客間の準備は整いました。一度確認お願いします」
先輩の仲居である久美は、テキパキと報告してきた。久美は流石にベテランであるだけあり、客間の準備は文句をつける部分がなかった。大きい現場が初めてである美雪を伴った状態で、時間通りに仕事を終わらせているわけであるから、その手腕にはあっぱれと言うほかなかった。