―別れよう。ごめん。
―なんで。
―僕はまだ・・・。
料亭を女将として切り盛りする私は偶然、6年ぶりに元婚約者と再会してしまう。
私が知る彼とは同一人物であることが信じられないほど変わり果てていた。彼の目的とは、いったい…!!
◆
蝉の鳴き声。少しずつ汗ばむ気温。年々、夏の温度が高まってきていることを感じる。また多治見で最高気温を記録したそうだ。街へ出ると、噴水で遊ぶ男の子や、小型扇風機を首元にあてながら歩く女子高生の姿が目に入る。まるで自分の視野に移る景色が世界の全てで、進んでいく先が何かの結果に繋がっていくことを確信しているようだ。
私にも、確かに彼女たちのように道を歩いていたことがあったはずだ。ただ学校から出る課題をこなし、1日前と同じ時間のバスに乗る。3カ月に一度くらいの頻度でやってくる定期テストで、ある程度の点数を取ることを至上目標のように考えて、ただ日常を生きていた。
それがいつから、こんなにも前ではなく、右や左、後ろを見ながら歩くようになったのだろう。街へ出るための一歩すら重たい。
「さて、頑張らなきゃ」
◆
岐阜県岐阜市元浜町。木曽川水系の一つであり、日本三大清流にも数えられる長良川に沿って立地するこの地は、毎年の季節ごとの行事で賑わう。
その中でも長良川で行われる伝統行事「鵜飼」は県外からも多くの観光客が集ってくる。屋形船に乗りながら、鵜匠達が自在に鵜を操り、魚を獲っていく。篝(かがり)に焚かれた火を照らすと、川の水面はまるで黒くうねる怪物のようだ。鵜匠たちも川に飲み込まれんとするように、手縄を手繰る。
私たちはその様子を、屋形船の上から見守るのだ。
私はこの元浜町で、料亭を営んでいる。長良川で獲れた鮎の焼き物を中心に、岐阜の食材を使った創作料理が自慢だ。県内外問わず、様々な人が料理に舌鼓を打つ。
「あ、女将さん!」
お店に入ると奥から爽やかな声が聞こえてきた。料理場から顔を出したのは、白い法被に身を包んだ板前の小柳君だった。
「さっき卸の町田さんが来てたんで、対応しておきましたよ!」
「ありがとう。良いお魚はあった?」
「そりゃもう!文句ないですよ」
「それはよかった」
町田さんは新鮮なお魚を良いお値段で卸してくださる、とてもお世話になっている方だ。もう60になるというのに、皺が刻まれた顔をクシャクシャにして、無邪気に笑う好々爺だ。
今日はお店に貸し切りの予約が入っており、そのためのお魚を町田さんにお願いしていた。とびっきりのを用意しときますよ、と笑っていたが、どうやら期待通りのものを卸してくださったようだった。