(は?)
一瞬、何を言われたのか分からなくて環はあっけに取られて密の方を振り向いた。
密はうんうんと満足げに頷き合点がいったように話を進める。
「子供が出来れば、妻としても、それに母としても自覚が出来るよね?そうだ、それが良い!うん、環、そうしよう」
「そうしようって、な、何を……きゃっ!」
密は不意に立ち上がると、すたすたと近付いてきて、環の腕を掴んでぐいと引いた。環は小さく悲鳴を上げる。
「子供を作ればいいんだよ。そうしたら環もきっと、今よりきちんとするようになるはずだ。どっちにしろ、いずれ一人は子供が欲しいって話をしてたよね?」
密はそんなことを意気揚々と口にすると、男の力に敵うはずもなく環は引きずられるように連れていかれた。
「いや!密さん、放して!」
「どうして嫌がるの。これは僕らの将来のためにも必要なことで……」
おかしいとしか思えない。環は恐怖に駆られて叫び声を上げた。
「は、放して、密さん!……いやぁっ!」
無理矢理密を突き飛ばし、環はがむしゃらに逃れた。目についた自分の鞄をとっさに掴んで、リビングを抜け、廊下を走り、玄関で適当に目に入った靴を引っ掴むようにしてドアを開けた。
背後から密の声がする。何か言っているようだが構っていられない。
慌てて靴を履いてひたすらに走り、家から離れた。少しして振り返ると密は追ってきていないようだった。
でも……。
(いや……!)
なんて人なの。
環が先程掴んだ鞄は自分がさっき公園に出ていた時に持っていたショルダーバッグだった。
そういえば、このバッグも密からのプレゼントのブランド品だった。今となると吐き気がする。
(どこに行こう)
どこに行くあてもなく、密からのプレゼントであるこのペンダントで位置が掴まれてしまう。捨てる訳にもいかない。でも……もう家には帰りたくない。
環はその場でしゃがみこみ、声を上げて泣いた。
「助けて……」
そして、ひとしきり泣いてから思いついた。
(樹里……)
そうだ、樹里に連絡しよう。彼女ならきっと助けてくれるはず。
環は鞄からスマホを取り出した。懐かしい樹里の連絡先を開き、彼女に電話を入れる。少しのコール音しか響かず、樹里はすぐに出てくれた。
『環……!どうしたの、泣いてるの?何があったの、環!』
彼女の心配する声を聞くと、たまらなく涙がこぼれた。環は嗚咽交じりで、最初こそ言葉にならなかったが、それでも必死に樹里に助けを求めた。
「お願い、樹里、たすけて……。私、もう……」
『今すぐに行く。どこにいるの?安全な場所にいて』
樹里はてきぱきとそう伝えてくれた。スマホをつないだまま、環が安全なようにと気を配ってくれる様子が伝わってきた。
「私、もうダメ。離婚する」
環は泣きながらもそうはっきりと言った。
そう、離婚するのだと。
しかし、まだ最後に一波乱残っているなんて思ってもいなかった……。
Next:10月7日更新予定
樹里に助けを求めた環は夫・密との離婚を決意する。そして行動を起こそうとした矢先、予想だにしなかったことが待ち受けていた。