夫に暴力をふられてから何も言い出せなくなってしまった妻。
だが、あることをきっかけに一人息子・春樹の本音を知ることに・・・
あの日以来、加奈恵は裕司に強く言いづらくなってしまった。
普段の何気ないことに関しても、教育方針に関しても、だ。
やはり、暴力を振るわれそうになったことが潜在意識に刷り込まれていた。
それと、離婚したら春樹をもらうと言われてしまったのもつらかった。
冷静に考えられれば良かったのに、この時の加奈恵は、既に的確な判断をするのが難しくなっていた。
それくらい裕司の、世間とはかけ離れた常識に染まらされたのかもしれなかった。
***
春樹は小学五年生になった。
剣道も辞めずにしっかり毎週通っていたし、塾も、小さい子向けの場所から高学年の子が通う進学塾に変えてきちんと行っていた。
学校から帰ってきた春樹が剣道や塾に行く前、軽くお腹に入れるものを作るのも加奈恵の役目だった。
おにぎりやお菓子を作って用意し、食卓に置く。
「今日はからあげも作ったのよ。春樹、好きでしょう」
「わあ、ありがとう、お母さん!」
裕司はあまりからあげが好きではないらしいので、普段は食卓に上げない。
が、実は春樹がからあげを好きなことを、加奈恵はちゃんと知っていた。
日ごろから窮屈な思いをさせているのは分かっていたので、まだ裕司が帰っていない時間くらい、少しはのびのびさせてあげたい。
それに、これから剣道に行かなければいけないのだし……。
春樹は美味しそうにからあげを食べ終わると、「じゃあ行ってくるね」と、椅子から下りた。
道着や竹刀が収められた袋を持って、玄関に向かう。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「うん!」
加奈恵が微笑んで手を振ると、春樹も返してくる。春樹はそのまま玄関から出て行った。