一瞬間が空き、どちらからともなく笑みがこぼれる。
「俺たちって同じように思ってたんだな」
「…本心を伝えていれば良かったのかもね」
結局似た者同士だったのだろうか。
本心を言えず、かといって相手の本心を訊くには臆病だった。
今よりずっと海外が遠かった年齢だから物理的な距離が作用したのかもしれない。
美果は立ち上がった。鞄を手に取ろうとする瞬間に新一が抱き寄せる。
「もうこういうことはしないから。今だけ」
新一は何かを噛みしめるように腕に力を入れた。美果の肩が一瞬震える。
この感情が何かはわからない。美果を自分の女にしたいのではない。
ただ、美果の強さやセンス、佇まい、美しさ、そういうものすべてを近くに置きたいと思った。
今日のように自分と一緒に仕事をしていけたらどんなに心強いだろう。
ずっと働いてきて美果のような女性はいなかった。仕事ができる人間はそこそこいたが、一緒に働きたいと思う人はいなかった。
経営者になってからもそういう人を探していたのだがまだ巡り合えていなかった。
昔付き合っていたことが目の前にオブラートとして存在していたが、美果はいい女であり、ビジネスパートナーにしたいと思える女だ。
でも、それを口にすることはできないだろう。
美果の望むキャリアではないのだから。
たっぷり数分ほど経ってから、新一は腕をほどいた。
「あの時、もっとちゃんと美果の気持ちを聞いて、自分の気持ちを言っておけばよかったな」
「…そうね。私もそうすればよかった」
美果が優しく微笑む。
そのまま新一のオフィスで軽く一杯だけワインを飲んだ。
さっぱりとした辛口の白ワインはフレンチレストランで出すものだ。
その味わいは当時の感情を吐き出した新一と美果を潤してくれるようだった。
「これからは友人として」
ワイングラスを軽く掲げた。
◆
美果が昇進試験に落ちたことを伝えた時、ジムから帰ってきたばかりの高史はそっと抱きしめたのだった。
やさしく包むような感触は数日前の新一のそれとは真逆のものだった。
Tシャツの上からもわかる筋肉が何だか心地よく、美果はいつまでもこうしていたい気持ちにかられた。
でもそうしている訳にはいかない。
「もうお昼に近い時間だし、そろそろ出かける準備をしなきゃね」
美果がそう口にすると高史は少し腕に力をこめた。
「いいんだよ。辛い気持ちは一度吐き出して浄化しないと」
その言葉を聞いて美果は感情が溢れ出してしまった。
本当は心底悔しかった。
自分より年下で最近入社した人にポジションをとられたこと。
フランスに留学したのにその経験を活かせているのか不安なこと。
中学時代の友人と会って今のキャリアを否定されたように感じたこと。
自分の生き方を認めてもらえないように受け取ったこと。
一つ一つは小さなことだと美果もわかっている。
愚痴を言ってもしょうがないし、何よりも美果は愚痴を言うのが嫌いだった。
だからそれらを吐き出さないように溜め込んでポジティブに考えていくようにしていた。
けれど、それがいつの間にか溜まっていったのだろう。
本人でも気づかぬうちに。
それは新一に対して不満を言えなかったのと同じように、つい感情を溜め込んでしまっていたのだ。