丸の内にある新一のオフィスは、ビジネスビルの2フロアを間借りしていた。
名古屋駅ほどではないが高層階の窓からビルの夜景が広がっている。
夜8時を過ぎた現在ではフロアに他の社員はいない。
おずおずと挨拶をし、前回会った時の心情などを話しながらスパークリングワインを二人で飲んだ。
これくらいでは酔わないとわかっているけれど、ちょっとした緊張がほぐれていくのがわかる。
フロアにはうっすらと聞こえるくらいのジャズが流れている。センスの良いデスク、無造作に描かれたようなデザインの壁。
広告制作もしているらしく、ビビットな色合いのポスターの右下には誰もが知っている企業の名前とイベントの内容が記載されている。
間違いなくお洒落なオフィスだ。
新一は大学卒業後のことから今の会社の立ち上げについて話し、美果は結婚のことやホテル暮らしのこと、そして新規ポジションへの応募を迷っていることを話したのだった。
「失敗したら…そうね、迷っている理由は恐いとか嫌だという感情だけかもしれない。自分自身も傷つくだろうし。応募したことは何となく社内でも知れ渡るから落ちてしまったらそれも辛いかも」
むしろその気持ちの方が強かったのだと思う。
落ちた時に周りからどんなふうに思われるのか。
今の仕事を続けていく中でやりにくくなったりしないのか。
知らず知らずの内にそこが引っかかっていた。
「さっき美果はさ、今のポジションだって悪くないんだよね、って言っていただろ?あれさ、本当に今のポジションに満足していたら出てこない言葉だと思う。悪くない、って何か別の感情を打ち消したり必死にいいところを見つけるような言葉に感じるからな」
指摘されてそうだったのだと気づく。
悪くない。でも上に行きたい。
そう思っていたのだ。本心は最後の言葉にある。
酔い覚ましに炭酸水を口に含む。
美果はまっすぐに新一を見据えて言った。
「新一に言われることすべて当たっててなんだか癪ね」
「何だよそれ。思ったことを言っただけさ」
目を細めて微笑む表情は学生の時とまったく同じだ。
「でも、ありがとう」
応募するように新一に説得されたわけではないのに、美果の迷いはすっと霧が晴れたようだった。
自分が何に迷っていたのか、本心はどうなのかを掬い上げてくれたような気がする。
あまりにすっきりと決心できたので今すぐ帰ってレジュメに取りかかりたくなる。
美果は元々目の前のことに邁進する性格だ。そんな美果を見て微笑む。
「そういう芯が通っているところ、懐かしいな」
送っていくと何か不都合が生じそうだからな、と言う新一は代わりにタクシーを呼んでくれた。
オフィスを出る時にまた手首を掴まれる。
新一は口を開いた。
「あのホテル、取引先との会食で上のレストランをたまに使うんだ。ここ何か月かは割と頻繁にさ。会食終わって相手を見送った後にいつもラウンジやバーで一杯飲んでから帰ってたんだけど、その時に美果を見かけたんだ。スイート専用のエレベーターに乗っていくところも何回か見てた」
まっすぐに強い眼差しでそう告げる。
そうだったんだ。だから滞在していることを知っていたのか。