ティン。
奥ゆかしいチャイムが鳴ってエレベーターがフロアについた。
客室のドアを開けた途端、どっと気力がなくなって思わずソファに横たわる。
先ほどの自分の対応は正しかったのだろうか。
あの後のバーでのことをゆっくりと思い出しながら目を瞑った。
◆
エレベーターホールから急いで移動し再びバーカウンターの席に着く際、バーテンダーはわずかに「あれ?」という表情を浮かべそうになったが一瞬で消し去った。
「いらっしゃいませ」
相変わらずの微笑みで返してくれる。
「バーを出たところで知り合いと会っちゃって」
なんだかバツが悪くなって美果は言い訳のように口にした。
思えばこの男もさっきまでバーにいたのである。二人して数分の内に舞い戻るなんて慌てていたとはいえ変な行動をしてしまっている。
何事もなかったように新一は座るとオールド・ファッションドを頼んだ。
バーテンダーは何も淀むことなく返事する。
「お砂糖は黒砂糖ですね」
「あぁ、それで頼むよ」
慣れたように返す。
「…新一よくここに来るの?」
さっき掴まれた時に言っていた言葉もひっかかっていた。
‘やっぱり、スイートルームに泊まってるんだ?’
まるで前から知っていたような素振りである。
美果の質問に新一の目線がぶつかる。
体は動かさず、目線だけをこちらに向けてくる。
「そ、しょっちゅうここに来てるからさ。丸の内からも近いしね」
「ここってバーのこと?それともこのホテル?丸の内で働いているの?」
その質問には答えてくれなかった。
バーテンダーの手前、しつこく聞くことも躊躇(ためら)われた。
美果の口からは話していないが、きっとホテルオーナーの息子嫁という立場は多くのスタッフが知っているだろう。
ハイクラスなホテルだから皆わきまえているだけで、おそらくは美果のことを丁重に扱うように指示がふれまわっている筈だ。
美果は経営には参加していなくともその家族ということであればスタッフは一層気を遣うに違いない。
ただ、それを感じさせないようさりげないサービスを行うことができるスタッフばかりであることもこのホテルの伝統と格式が証明しているのだった。
美果の側からしても、何か目に余るような言動があればスタッフを通じて義兄や義父に伝わってしまう恐れがあるからこそできるかぎり目立たず行動してきたのだが…。