「うん。いい子いい子して…」
はっきりと聞こえてきた声は…?
疑いたくなるような、鼻にかかった…低音。
それは、まぎれもない…珠子の夫…雄一郎の声だ。
全身痙攣をおこしながら、静かにドアを開ける。
メイド服を着たロングヘアの女に膝枕をされて、猫のように丸まった姿勢で顔をうずめる男の半裸姿!
珠子は思わず悲鳴を上げたくなったが、自ら口を押えてそれを飲み込む。
「…ゆうくんの傍には、私がいるからね…」
成人男性が、まだ少女の胸に顔をうずめて、よしよしされている異様な光景を見せつけられ、珠子は茫然としたままだった。
脱ぎ散らかされた服を見ても、声を聴いても、後頭部を見ても、それは雄一郎だ。
そして、それを抱き寄せているのは…芽衣だった。
芽衣がチラッと珠子の方を見て、口許に人差し指を立て『シー』として、ニヤっと頬を上げる。
『お前が入り込む余地はない』
そう、言われているようだった。
容姿端麗で家柄も良い男が、40歳手前まで独身だった理由がそこにはあった。
女には不自由したことがなくても、彼の全てを受け止められる女はいない。
これを性癖というのか、それともまた別のモノなのか、珠子の思考回路では瞬時に判断は出来なかった。
しかし、この姿を知ってしまった事実を…雄一郎に…。
否、西園寺家の次期当主になる男に、知られる訳にはいかないという判断能力は、直ぐに取り戻せた。
妻では、出来ないことがある。
正妻だからこそ、知っていても知らないふりをしてやらねば、やっていけない事実がある。
だから、麻梨恵ではなく、愛子でもなく…自分だったのだ。
綺麗な女はプライドも高い。
どういう経緯で、芽衣があの若さで使用人となり、その中でも優遇されながら此処にいるのか、珠子には知る由もないし、誰も答えない。
結論だけで言えば、余りにも気色の悪い、この光景が全てを現しているようだった。
『西園寺家において、自分だけが知らなかった事実』を。
しかし、珠子の中では身を引くという選択肢はもう残されてはいない。
静かに自室に戻ると、愛子に連絡を入れた。
『体調が良ければ、またランチに行かない?』
愛子に奪い取られた新婚旅行が、愛子の策略通りだったとしても、愛子に雄一郎の血を継ぐ子供を産まれては困る。
珠子にとって一番の邪魔者は、麻梨恵ではなく、愛子だったのなら話は早い。