ホテルの一室で目を覚ました水希は、それでも幸せな気分でいた。
ふかふかのベッドは慣れた感触がした。最初はまどろんでいたが、そのうち、ここがどこかを思い出すと体をもぞもぞと起こした。
すぐ隣のベッドが目に入る。賢人の姿はなかった。
はじめから読む:二つの顔を持つ男 vol.1~もうひとつの仮面~
「……賢人さん?」
声を出して周りを見回す。どこにいるのだろうか。洗面所やトイレを見に行ったが、やはりその姿はない。
忙しい人であろう。だから、もしかして先に職場にでも行ってしまったのだろうか。
そうだ、と思いスマホを取り出す。連絡を入れる。
しかし、いつまで待っても既読はつかない。
結局そのまま、彼女の元に返事が来ることはなかった。
***
「ふあ~ぁ……」
賢人は大あくびをすると同時に、出版社の自分のデスクで大きく伸びをした。
「よ、お疲れさん、結城」
「はい……。ありがとうございます、草壁さん」
声を掛けてきた草壁に、まだ眠そうな顔をして振り返る。今回はずいぶんとこの先輩に助けてもらった。一応ぺこりと殊勝に頭を下げておくと、草壁はにやりと笑った。
「やっと仕上がったな。この記事、全部お前の手柄だぞ」
草壁はにやにや笑いながら、座っている賢人の頭を小突く。「あー、まあそうですね、ありがとうございます」なんて悪びれずに賢人は返したが、草壁はその物言いを気にすることもなく褒めてくれた。
「今日はもう疲れたろ。ちょっと外の空気でも吸って休んどけ」
草壁がそう言ってくれたので、賢人は「わかりました」と返事をして、慌ただしい部屋を後にした。
***
下まで降りて、自販機で缶コーヒーを買う。
プルトップを開けて、コーヒーを一気に流し込むと、荒れた胃が更に痛む感覚がした。
「あー……」
と、しかめっ面をすると同時に、不意に目の前を黒塗りの高級車が走り抜けていった。
まるで焦るように走る車。その後部座席で、耳にスマホを当てて慌ただしく電話対応に追われていたのは――。
「……水希」
ダークブラウンの綺麗な長い髪。ナチュラルメイクだがくっきりとした整った顔立ちで、ブランド物のスーツもいつも通りよく似合っている。一瞬だったがはっきりと見えた。
賢人は一瞬だけ目を奪われたが、すぐに踵を返した。
コーヒーの缶をゴミ箱の口めがけて放る。音を立てて、缶は上手く入った。
***
ふらふらしながら職場の階に戻ると、自分の書いた記事が次の号の目玉として載るぞ、と知らされた。
あれだけ苦労したんだ。そりゃそうだろ、と思っているところに、また草壁が近づいてくるのが見えた。
「結城、戻ったか」
「どうしたんですか?」
草壁は少しだけ頭を掻いた。「あのな、さっき、お前がいない間にまたスクープを掴めそうな情報が出たんだよ」
賢人は記者の性か、疲れも忘れて思わず前のめりになる。
「へえ……」
詳しく話を聞くと、地元を中心に活動している芸能関係の人間が……。とのことらしい。しかも、その詳しい情報を握っているのが……。
「若い女……ですか」
草壁に対し、賢人はにやりと笑ってみせた。
「その件、俺も当たってみますよ」